Les Rêveries du promeneur solitaire

イチかバチか

この間、乗っていた電車の広告で、ホイチョイプロの「気まぐれコンセプト」のキャラクターを見かけた。「可能性はゼロじゃないぞ」というセリフを言っている。これ(↓)

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http://koreichi.jp/cm.html

 

自分はホイチョイプロというとバブルを連想するのだれど、「可能性はゼロじゃないぞ」というよりも「可能性は無限大だ!」とか「最後に野菜は勝つ!」とか言ったほうがバブルっぽい感じがする。ホイチョイプロのキャラもそんなセリフを言う時代かなどと勝手に妄想した。

 

小さい可能性について「ゼロではない」と感じるのか、それとも「無視できるほど小さい」と感じるのかは、個人差もあるし、時と場合にもよるのだろうけれども、「時と場合」に関して言えば、傾向として、前者は危機を感じている時で後者はその逆であるケースが多いのではないだろうか。

 

 

現在、日本の経済政策は社会実験だという人がいる。社会実験をやる価値があるのは、このままではいずれたいへんなことになるから、だそうだ。「一縷の望みに託す」みたいな。

 

先週後半、日本の株式市場が乱高下した(らしい)。市場のボラティリティが高まった時、投資家はどう感じるのか?勝ちポジションにある投資家は、いったん利食いしたくなる、つまりリスク回避度を高めるかもしれない。逆に負けポジションにある投資家は、抱えた損失を解消するチャンスと感じるかもしれない。つまり、リスク選好度を高める、ひょっとしたらナンピン買いをしたりするかもしれない。いわゆるプロスペクト理論「風」の解釈。

 

経済合理性に照らすと、過去の損得はもう過ぎたこと、過去から現在までの損得は忘れて、現在から将来に向けた損得に目を向けるのが正解、とされている。現在抱えている含み損益に関わりなく、現在の株価が今後上がるのか下がるのかを考えようと。伝統的な経済学ではそのようにヒト(ホモ・エコノミクス)が行動することを前提にすることが多いそうだ。

 

ただ、もし「負けたら終わり」という状況だと感じていて、さらに「このままでは近い将来また負けそう」と感じていたとしたら、あえて不確実性を大きくして一発逆転に掛ける行動を選択するのも理にかなっていそうに思う。崖っぷちに近付きつつある時に、「ゼロからスタート」とか思わないわけで。。

 

経済的に貧しい人がギャンブルにはまりやすかったりするのは、いろいろな要因があるにせよ、その中のひとつに一攫千金で一発逆転の夢を描いているというのもあるのではないだろうか。

 

サッカーのカップ戦とリーグ戦の戦い方の違いについてよく言われる。負けたら敗退という状況で、開始当初はお互い「絶対に負けられない戦いがソコにはある・・・」とリスク回避的であっても、もしも先制されてしまったら、リスクを取って攻撃にでるというオプションの価値が高まる。1点差で負けるのも5点差で負けるのも同じ敗退なのだから。オプション・プレミアムの理論価格は原資産のボラティリティに比例する。

 

このオプションの行使は、うまく行くときもあるだろうし、大量失点して「守備崩壊」と書かれることもあるだろうし。ハイリスク・ハイリターンを狙った結果は、平均的なリターンは上がったとしても、個別のバラツキは大きくなる(直感的にはちょっと把握しづらい)。ただ、負けたら死んでしまうのだとすれば、損失サイドの上限はそこまでを想定すればよい。リーグ戦でも終盤でのポジションによってはリスクテイクの価値は高まるだろうが、それ以外の状況ではどうだろうか?

 

今の状況は、カップ戦なのか、リーグ戦なのか、リーグ戦だとしたら前だけを見ることに集中するべきなのか、それとも一発に掛けるべき状況なのか。

 

まぁ、尤もホイチョイプロのキャラはリスクを取ろうと呼びかけている感じはまったくしないわけでありますが・・・