Les Rêveries du promeneur solitaire

F*ck you Captain Tom. You’ve really made the grade!

若いころのエイドリアン・ブリューは、ロック・ギタリストらしからぬ、アメリカ人らしからぬ、気弱で自信がなさそうな男にみえる。ユニークなプレイ・スタイルのわりに器用貧乏みたいな扱いを受けることも少なくなさそうな感じもする。

彼は1977年にフランク・ザッパの勧誘を受けて難関として名高いオーディションをパスし、バンドのメンバーになった。しかし、当時このバンドの古株だったテリー・ボジオの発言によると、ブリューはこのバンドであまりいい思いをいていなかったみたいだ。

テリー・ボジオエイドリアン・ブリューを語る | Rocqt
http://rocqt.net/120511

この中でボジオがブリューに陸軍婦人部隊の制服を着せていたという話がでてくるけれど、それはザッパのBaby Snakesというビデオで見ることができる(YouTubeにもアップされている)。ザッパのショーで演じるには、一流の曲芸師であるだけでは足りず、(しばしばひどく下品な)ピエロになることも要求される。

ザッパのバンドのリード・ギターはザッパ本人なので、他のギタリストのポジションはやや微妙なところがある。それに加えて、ロックでギタリストやボーカル以外のパートの演奏職人は、この世代ではジャズを基礎としている人がわりと多かったりする(ただし、ボジオについてはクラッシックが基礎だと述べている)。

伝統的で一般的なロックはギターとボーカルのための音楽みたいなところがあって、当時、高い技術を誇る音楽職人を志したベーシストやドラマーが好んで聴いてきた音楽は、ろくろく注目もされず8ビートをひたすら繰り返すだけのロックではなかったのかもなのだけれども、ザッパの音楽はそうではないし、それゆえによけいにリズム・ギターのポジションが微妙なものになったりするのではなかろうか。職人たちの間でも自然と孤立しやすいのかもしれない(ザッパのスティーブ・ヴァイの扱いに関してはもう少し違うものだったけれど、彼はザッパ時代にメンタル面で苦しんでいたらしく、仲間に相手にされなかったみたいなことも述べている)。

ザッパ時代のブリューで一番印象に残っているのは、ボーカルでボブ・ディランのモノマネをやったことだ。

一方、ブリュー自身はザッパ時代のことを次のように振り返っている。

エイドリアン・ブリューフランク・ザッパを語る (1/2) | Rocqt
http://rocqt.net/121102

エイドリアン・ブリューフランク・ザッパを語る (2/2) | Rocqt
http://rocqt.net/121104

フランクがツアーの合間に「Baby Snakes」の映画を編集してる時、俺はデイヴィッド・ボウイのツアーに参加することになって、その後は、残念ながら、もうフランクと仕事する機会はなかった。最悪だよ。ザッパ音楽学校にいた間、何もかも素晴らしかったからね。もっと長くいられたらって思ってる。

この記事はザッパが亡くなった2ヶ月後の1994年2月のもので、ザッパと関わった5人のギタリストへのインタビューからの抜粋(先述したスティーブ・ヴァイの話もこの記事で出てくる)。ザッパ追悼のためのインタビューであるし、もちろんお世話になった故人を讃えたり惜しんだりするのは「社会常識」の範疇。実際にはボウイのバンドに引きぬかれてから、トーキング・ヘッズキング・クリムゾンとキャリア・アップして本領を大いに発揮することになる。

1978年、ブリューは、ザッパのバンドの一員として欧州ツアーに出た。そして、ベルリン公演の真っ最中、ザッパが長いギターソロを弾いていたその時、デビッド・ボウイから勧誘された。その背景には前日のケルンでの公演を見たブライアン・イーノがギタリストを探していたボウイに電話したということらしい。イーノは「1、2章節の鳥寄せ笛」を気に入ったのだろうか?ブリューをトーキング・ヘッズに招いたのもイーノであり、ブリューとロバート・フリップとの間を仲介したものイーノとされている。

ボウイによるブリューの強奪事件について、ブリューは2007年5月に自分のブログへ投稿している。

elephant blog: Anecdote #646 part 1
http://elephant-blog.blogspot.jp/2007/05/anecdote-646-part-1.html

で、この和訳が2ちゃんねるに投稿されている(912から)。
http://2ch-archives.net/awabi.2ch.net-musice/1-1349186585/

原文と並べてコピペしよう。(改行は見やすく修正を加えた)

Uneasy Meetings with Gods part one.
神々のぎこちない対面 パート1


place: a Frank Zappa concert in Cologne, Germany 2/14/1978
my first tour of europe ever and as a member the frank zappa band.although I wasn't aware, this night brian eno is in the audience.next day eno calls david bowie knowing david is looking for a new guitarist.

場所:1978年2月14日、ドイツ、ケルン。フランク・ザッパのコンサート会場
フランク・ザッパ・バンドのメンバーとして、 僕にとっては初めてのヨーロッパツアーに行ったときのことだ。そのときは知らなかったけど、ブライアン・イーノがその夜の公演を見に来ていたらしい。そして、デヴィッドが・ボウイ新しいギタリストを探しているのを知っていたイーノが、 次の日にデヴィッドに電話したんだ。


Berlin, Germany 2/15/1978
the following night david comes to the show ostensibly to see me play.there is a break in the show where I normally leave the stage while frank plays an extended guitar solo.as I'm leaving I glance over to the monitor board. I'm shocked to see david bowie and iggy pop!I walk over, shaking david's hand I say, "I've always loved your music"."great", he says, "how'd you like to join my band?!"
"well, I'm playing with this guy right now..." I stammer, pointing to frank."yes, I know, but your tour ends in two weeks and mine begins two weeks later."we agree to meet back at the hotel after the show.

1978年2月15日、ドイツ、ベルリン
次の日の夜、デヴィッドが表向きは僕のプレイを見るって名目でショーに来た。ショーの途中にはいつも、フランクが長めのギターソロを弾いているあいだに僕がちょっとステージを離れる箇所があるんだ。裏にいるとき、モニターボードをチラッと見上げてみた。デヴィッド・ボウイイギー・ポップがいるのが見えてビックリだよ!歩いていって、デヴィッドに握手しながら「ずっと前からあなたの音楽が大好きです」って挨拶したんだ。「それはいい」って彼はいった。「僕のバンドに入るってのはどう?」だって。「でも、今は彼と一緒にやってるんで……」ってフランクを指さしながら口ごもっちゃったね。「まあそうだけど、君らのツアーは2週間後に終わりで、僕らのツアーが2週間後に始まるかたちなんだよ」。僕らはショーのあとホテルに戻ってからもう一度会う約束をした。


what followed was like something out of a spy film. david and his assistant coco tried to rendezvous with me without letting anyone in on our little "secret". I suppose the idea was to avoid letting frank know I was being wooed away from his band. I was too dumb to notice. at one point, david, coco, and I stepped into the hotel elevator when no one was around. whispering, coco said, "we have a car out front. we'll meet you there in ten minutes."

david wanted to take me to one of his favorite restaurants to discuss my future. he had lived in berlin for several years. so his driver set off with the three of us in the back madly chatting about songs we'd play and places we'd go. we pulled up to a nice looking restaurant and walked in.

at the table right in front of us sat frank and some of the band!the jig was up as they say.can you imagine? how many restaurants are there in berlin?

そのあとに起こったことはスパイ映画か何かでありそうな話だ。デヴィッドと彼のアシスタントのココは、このちょっとした「秘密」を誰にも知られることなく僕と会おうとしたんだよ。バンドから僕が引き抜かれるってのをフランクに感づかれたくなかったってことなんだろうね。そんなことにも気付かないくらい当時の僕は間抜けだった。回りに誰もいないのを見計らって、デヴィッドとココと僕はホテルのエレベーターに乗り込んだ。囁くようにココがこういった。「正面に車を待たせてあるの。10分後にそこで会いましょう」。

デヴィッドは自分のお気に入りのレストランに僕を連れて行って、僕の将来について話し合いたいってことだった。あのころ彼は何年かベルリンで暮らしていたんだったね。それで、あの歌をやろうとかどこへ行こうとか、そんな話で盛り上がる僕らを後ろの座席に乗せて運転手が車を出した。すてきなレストランの前について、僕らは中へ入っていったんだけどさ。

正面のテーブルにフランクとバンドの何人かがいたんだよ! いわゆる一巻の終わりってやつだ。ちょっと想像してみてよ?ベルリンにレストランがいくつあると思う?


so we invited ourselves to join them at their table.feeling slightly uncomfortable david tried to engage frank in friendly discourse.
david said, "really enjoyed the show".
frank shot back, "fuck you captain tom".
"c'mon frank, we can be adults about this, can't we?" david replied.
"fuck you captain tom."
"no, really I'd like to talk."
no matter what david tried, frank kept saying, "fuck you captain tom."
so we left the restaurant.outside david said,"that went down rather well, didn't it?"
david, coco, and I spent the rest of the evening at an authentic 1920's private cabaret. david knew the owner and we had a wonderful time. some kind of girls gave us a show. the marlena dietrich owner of the club awarded me a lifetime membership card.

しょうがないから彼らのテーブルに加えてもらえるように、こっちから挨拶に行ったよ。けっこう居心地悪かっただろうに、デヴィッドは頑張ってフランクと友好的に話をしようとしてたなあ。
「本当に楽しいショーだったよ」ってデヴィッドが言ったんだけど、
フランクは「クソ喰らえだよ、キャプテン・トム」ってにべもなかった。
「あのさあフランク、お互いもうちょっと大人になれるよな?」
「クソ喰らえだよ、キャプテン・トム」
「いや、ちゃんと話そうよ」
ってな感じで、デヴィッドがどう頑張っても フランクは「クソ喰らえだよ、キャプテン・トム」しか返事しなかった。
そんなわけで僕らはレストランを出たんだ。外でデヴィッドは「むしろ説明の手間が省けたってことでいいんじゃないかな?」って言ってたよ。
僕ら3人はそのあと本物の1920年代のキャバレーに行ったんだ。デヴィッドがそこのオーナーと知り合いで、楽しい一時を過ごさせてもらったなあ。女の子たちのショーも見せてもらえたし、そのクラブのオーナーってのが実はマレーネ・ディートリッヒなんだけど、終身メンバーズカードを僕にもくれたんだ。


a few days later as frank sat at the back of a bus we were riding I approached him. I knew frank was planning on editing his movie baby snakes after the tour which would take perhaps 3 or 4 months. I explained it might make more sense for me to tour with david during that time rather than languish on frank's payroll. in his customarily frank fashion he reached out, shook my hand, and wished me luck.

数日後、移動中のバスの後ろの方に座っているフランクに自分から近づいていった。ツアーが終わったらフランクは映画『Baby Snakes』の編集作業に入るつもりなのを僕は知っていて、それはたぶん3、4ヵ月はかかる仕事だ。 そのあいだフランクに雇われたままボンヤリ待っているよりも、デヴィッドのツアーに参加した方が自分によっては大きな意味があると思うと僕は説明した。彼はいつもの習慣通りのやり方で、手をのばして僕と握手しながら、「幸運を祈ってるよ」って言ってくれた。

説明は不要かもなのだけれど、ここでのザッパが繰り返したセリフ、"fuck you captain tom."のtomは、Space OddityのMajor Tom(トム少佐)のことで、つまり、ボウイのこと。MajorではなくてCaptain と呼んでいるのは、たぶんわざとなのだろうけれど、理由はよくわからない。ちなみにDon Van VlietにCaptain Beefheartというアダ名をつけたのはザッパということになっている。

"fuck you"に関して、ここでは「クソ喰らえだよ」と訳されているけれど、「消え失せろ」みたいな意味もあるようだ。ザッパが"fuck you captain tom."としか言わないので、仕方なく出て行ったということからすると、ここでは「消え失せろ」の方が意味が通じやすいかなあ。でも「消え失せろ」という日本語が、"fuck you "を十分に表現できている感じもしないのだけれど。


それから、2012年11月のインタビューの中にイギー・ポップが当時を振り返っている部分がある。

Iggy Pop on early Van Morrison and Frank Zappa/Mothers Of Invention | MusicRadar
http://www.musicradar.com/news/guitars/iggy-pop-on-early-van-morrison-and-frank-zappa-mothers-of-invention-567661

これについても2ちゃんねるの同じスレッドに和訳が投稿されている(964から)ので、原文と並べてコピペしよう(同じく改行は見やすく修正を加えた)。

The first time I heard "Freak Out" by the Mothers of Invention was on headphones, smoking an early joint in my drug career, at the house of SRC, a Michigan band of the 60's. That night I kind of knew they were asking (Stooges guitarist) Ron (Asheton) to leave our group and join up with them, so I was hanging around to see what was going to happen. Rather than waste my time, I saw a copy of "Freak Out" and listened to it on the phones.

俺のドラッグ歴の中でも最初の方のジョイントを吸いながら、 俺がはじめてMOIの『Freak Out!』をヘッドフォンで聴いたのは、 60年代のミシガンにいたバンドSRCの家でのことだ。 そのバンドの連中がロン(ストゥージズのギタリスト、ロン・アシュトン)に声をかけて、俺たちのバンドから引き抜こうとしていたのを俺は知っていたんで、 その夜は事の成り行きを確かめようと思ってあたりをうろついていたんだ。 そこで『Freak Out!』を見つけたんで、無駄な時間を過ごすよりはと思って、ヘッドフォンで聴くことにしたってわけだ。


I thought it was very, very funny. I particularly loved "Help, I'm a Rock," "America Drinks and Goes Home," "Who Are The Brain Police" and the cameo of Suzie Creamcheese. I had already seen the Fugs live on stage, with Tuli Kupferberg changing costumes out of a large bag in a humorous way, so I was somewhat prepared. I liked the Mothers' conceptualism and humor, although the music didn't really do much for me. My own experiments were more influenced by Bob Ashley, Harry Partch, and Berlioz.

メチャクチャに面白いと思ったね。特に気に入ったのは「Help , I 'm a Rock」「America Drinks and Goes Home」「Who Are The Brain Police」、それにスージー・クリームチーズが出てくるところだ。俺はファグスのライブに行ったことがあって、テューリ・カプファーバーグがでかいバッグから取り出した衣装に面白おかしく着替えるところなんかを見ていたから、そういうものにある程度は耐性があったんだ。ただし俺が好きだったのはマザーズのコンセプト主義とユーモアであって、音楽の方はそれほどでもなかった。俺自身の試みに影響を与えたのはボブ・アシュレイとハリー・パーチとベルリオーズだ。


The first time I saw The Mothers I was opening for them; it was the second or third gig the Stooges had ever done, so I remembered us more than them. I think playing with them so early in our career pushed me to be weirder faster, and also to be stranger to look at, earlier than I would have been otherwise. That night I did my first stage dive. I knew the Mothers were on after us, and I didn't want people to forget about us.

はじめてマザーズを見たのは、俺があいつらの前座をやったときだ。ストゥージズにとってはまだ2度目か3度目のギグだったから、あいつら以上に観客の記憶に残りたかったんだよ。キャリアの一番最初のころにマザーズと一緒にプレイしたおかげで、俺はより早く奇人に、見てくれも変なやつになったんだと思う。他のやつとだったら、こうはならなかったろうね。何しろ俺がはじめてステージ・ダイブをやったのもその夜なんだ。俺たちの後にマザーズが出るのは分かってたから、こっちのことも忘れてもらっちゃ困るぜってわけでな。


Years later I got to know Frank a little bit, and he was very decent to me. We went out for a burger once in Berlin, to a bright lit cheap and greasy joint, with David Bowie. That was pretty funny and unusual. Frank was kind of a wry person, and as he made clear in his film "200 Motels," he had a certain ambivalence about English rock stars. I went along with Frank later that night and kept him company for a while at the Hilton hotel, until his Berlin girlfriend showed up.

何年もたってからフランクともうちょっと知り合うようになったけど、つねに礼儀正しい人間だったね。ベルリンで一緒にバーガーを食いにいったこともあるよ。照明がまぶしくて安っぽくて油でベトベトした店だったが、デヴィッド・ボウイも一緒だったんだよ。かなり面白いし珍しい光景だよな。フランクはちょっと皮肉のきつい人間だろ。それにあいつの映画『200 Motels』でもはっきり描いてたことけど、イギリスのロック・スターに対してちょっと複雑な感情を抱いてるよな。その夜はもうしばらくフランクに付き合ってもらって、ベルリンにいる彼の女友達が来るまでヒルトン・ホテルで一緒にいたんだよ。


For no exact reason, I remember feeling that Frank was a very lonely cat. He was all alone, and the suite was so dark and cold. The girl who came over later was kind of a troubled type, but I think he enjoyed the company and that was about it. Earlier that night at his show, Frank played one of his incredibly long guitar solos while his hired lead guitarist, Adrian Belew, had to wait his turn. That was the moment when David basically hired Adrian away for his own next projects, in a conversation behind the PA stack. I thought that was pretty funny.

はっきりした理由はないんだが、フランクはすごく孤独なやつだったっていう印象があるな。いつも一人でいたし、スイートは暗くて寒かった。あとから来た女ってのはちょっと厄介な感じのタイプだったが、フランクはそいつとのつきあいを楽しんでいるようだったからどうでもいい。その夜は彼のショーがあって、フランクはとんでもなく長いギターソロを弾いたんだ。その間、彼に雇われてたギタリストのエイドリアン・ブリューは出番を待ってた。そのときだ、デヴィッドが自分の次のプロジェクトのためにエイドリアンを引き抜いたんだよ。積み上げたPAの裏で話し合ってだぜ。ちょっと笑えるよな。


Earlier in my life, when the Stooges went to LA in 1970 to record "Fun House," we were staying at the Tropicana Motel. I walked up the hill to (legendary Hollywood coffee shop) Ben Franks to get something to eat, and there, sitting at the counter expressionless, with his hair and mustache and weird beard, was Frank Zappa. What a vision. I might as well have seen Aristotle. I was very impressed.

俺がまだ若いころ、つまりストゥージズが『Fun House』をレコーディングしにLAに行ったとき、トロピカーナ・ホテルに泊まったんだ。何か食おうと思って丘の上のベン・フランクス(ハリウッドの伝説的なコーヒー・ショップ)まで歩いていったら、無表情でカウンターに座ってる男がいてさ。あの髪にあの口ヒゲ、それにあのヘンテコな顎ヒゲ、まさしくフランク・ザッパだよ。すごい光景だろ。アリストテレスに出くわすようなもんだぜ。あれは印象的だったな。

ブリュー強奪事件の直前にザッパとボウイ(とイギー・ポップ)は、ベルリンのこきたないチープな店で一緒にハンバーガーを食っていたらしい。一体、何を話したのだろうねえ?

こうして、ボウイのバックバンドのリードギターに抜擢されたブリューはツアーに出て、来日もしている。次のビデオは1978年12月12日NHKホールでの公演。武道館でも公演をしたらしいのだけれど、NHKが自前の施設に連れてきて、録画をテレビで放送したとか、そんな具合の話を聞いている。ここでブリューが一番目立っているのが、Station to Stationの長いイントロで汽車ポッポの効果音。かなりうるさい汽車ポッポである。ただ、このStation to Stationのもともとの意味は、汽車ポッポに関するものではなくて、宗教的なものらしい。
http://youtu.be/kaKpJl4D8bc?t=42m45s

ところで、ブリューは1990年のボウイのツアーメンバーとして再び来日した。以下は同年5月16日の東京ドームのビデオ。この時のブリューは、バックバンドの他のメンバーよりも格上の扱いで、ギターをよく弾き、スポットライトをよく浴びて、カメラにもよくフォーカスされている。加えて、アンコールではボウイをゲストに迎えてシングル・カットした自分の曲"Pretty Pink Rose"の演奏までさせてもらっている。
http://youtu.be/HtU4-dil84g?t=1h36m53s

このライブに自分は行った。東京での公演は2回あったらしいので自分が見たのはこのビデオの方ではないかもだけれど。ところが実のところ、このライブにブリューが来ていたのを知ったのはごく最近のことだ。というか、もしかしたら当時は知っていたのに記憶からすっぽりと抜けてしまったのかもしれない。こんなに目立っているのに!?このライブに関して覚えていることと言えば、東京ドームの音が最悪でボワンボワン鳴り響いて、なんだかよく分からなかったということくらいなのだ。