Les Rêveries du promeneur solitaire

ランダムの素晴らしさ

合理性の素晴らしさの度合いは、その主張そのものがどの程度理路整然としているのか、というだけでは十分ではないだろう。その主張に対する合理的な疑いをどの程度排除できるのかというのも重要な要素だろう。

たとえば国民の代表者を集めるにはどのようにしたらよいか?投票で決めるのか?監督がチョイスするのか?ケース・バイ・ケースだ。もしも国民全体から偏りなく抽出したいのであれば、くじなどランダムに選び出すのが吉である。十分な人数を選びだせば、性別、地域、年齢、民族、宗教、所得水準、教育水準などが、国民全体の構成と同程度になることが期待できる。

ランダムの素晴らしさのツボは実はそこ(だけ)ではない。あらかじめ生じうると想定できる偏りは、他の方法でも小さくするように努力することができる。一方、ランダムが素晴らしいのは想定外の未知の偏りも解消すると期待できることにある。

ある薬がある病に効果があると言えるのかどうかを確かめたいとする。その病気の患者を1人連れてきて、薬を与えて結果を評価する。病気が改善した。本当に薬が効いたと言うことができるだろうか?いや、他の要因で改善した可能性がある。偶然かもしれないし。こういうので結果の評価を決めるのは巷で「三た論法」という悪い例とされる。

では薬を与える患者をもっと増やしたらどうか?1人だけよりは随分ましだとしても他の要因で改善した可能性を捨てきれない。たとえば自然に治る時期だったとか、その他にもいろいろと。。

効き目を評価するには、あらかじめ患者たちを「薬を与える集団」と「薬を与えない集団」との2つに分けた上で、結果の差を比較して評価した方がよい。

ここで2つの集団は、薬を与えるか否かについて以外、まったく同じ条件にすることが理想的だ。でないと結果に薬以外の何かが影響する可能性を十分に排除できない。

したがって集めた患者は偏りなく均等に2つの集団に分けたい。理想的な分け方は「くじ引き」などでランダムに分けることだ。このような臨床試験をランダム化比較試験(RCT)という。

エビデンスに基づいた医療(EBM)では、RCTの結果を重要視する。帰納的推論による因果関係の蓋然性の推定方法として、完璧でないにしろ最善のものの一つと言えるだろう。