Les Rêveries du promeneur solitaire

アテンション・プリーズ!

病院の待合室。自前の本を持ってくるのを忘れてしまい、スマホを眺めているのも飽きたのでラックの週刊誌を手に取ってみた。ちょっと視野を広げてみよう。そしたら成人、特に女性のADHD(Attention Deficit Hyperactivity Disorder)に関する記事を見つけた。

週刊誌と言えばゴシップ記事のセンセーショナルな見出しを掲げた吊り広告をイメージするのだけれど、そんな印象と裏腹に、この記事に関してはいたってマトモな内容だった。ただ、ページ中央の四角い枠囲いの中に書いてあったことが気になった。


こんな症状に悩んでいるなら

  • 短時間しか注意力が持続せず、気が散りやすい
  • 部屋や引き出しの中が片づかない
  • やらなければならないことを先延ばしにしてしまう
  • 計画性や判断力に問題があると感じることがある
  • なにかしたいと思った時、その衝動のコントロールが難しい
  • 気持ちの切り替えが難しい

この箇条書きの横には女性のイラストと「受診しよう!!」というセリフが添えられている。こういうのは確かにADHDの特徴をとらえているのかもしれないけれども、ある意味、誰にでも当てはまってしまう内容にも思えてしまう。血液型の性格占いみたいに、他人から面と向かって「あなたってこういう人ですよね?」と言われたりすると、誰もが自分に当てはまっているように思えてしまうような気がする。「バーナム効果」。

ADHD発達障害の一つで、注意集中力、多動性、衝動性という3つの社会適応上の特徴で説明されることが多い。ただ、これらの症状は「結果」であり、また「氷山の一角」である。ある認知発達上の偏りが下地にあって、それが社会生活を営む上で、特に(自他に限らず)困難さが感じられるものとして表面化、問題化する部分ということなのだろう。それは「障害」というものが、本人の能力的な欠如から定義される側面(医学モデル)と、社会によって規定される側面(社会モデル)との二つから成り立っていることを示すものでもある。

自閉症スペクトラムてんかんの合併も多くみられ、薬物療法では、覚醒効果のある中枢神経刺激薬メチルフェニデートに効果が認められている。多動で衝動的な人の中枢神経を刺激したら余計に多動で衝動的になりそうなものだけれど、そうではない。認知発達上の偏りとしては、仮説としてワーキングメモリの問題が指摘されているけれども、ここではこれくらいにして、ヒトの注意力について少し徒然と。。


注意力という能力は興味深いもので、ヒトの感覚器にはものすごく大量の情報が随時入って来ているのだけれども、ヒトはこれらの情報をフィルタリングし、必要なものにだけフォーカスするという大変な作業を行っており、そうやって効率的に情報処理を行えるようになっている。情報のフィルタリングは通常、無意識のうちに、自動的に、特段の努力を必要とせず、心臓が動くのと同じように、やっている。

だから、意識に上ってくる情報は、無意識の活動によってすでにフィルタリングされた情報なのだけれども、たとえば、人ごみの中でまったく目に入っていなかった数メートル先にいる人が自分の名前を呼んだりすると、ハっと気づいたりする(地獄耳)。これは意識に上らない情報も、無意識がきちんとモニタリングされているからなんだそうだ。こんな高度な技は意識的にやろうとしてもなかなかできそうにない。

意識的な活動はリソースを食うので、ヒト様の神経のスペックで以てしてもなかなか限界がある。思考と(意識的な)身体活動とはリソースを共有していて、たとえば走っている時に複雑なことを考えることはできなかったりする。たいていの人は、走りながら二桁の掛け算をするのは難しくて、「考える人」みたいなポーズでじっと座って黙り込んで、ようやくなんとかなる。そんな具合。

ラジオを付けながらでも、ある程度勉強ができてしまったりするのは、無意識によるフィルリング機能を使っているのだろう。ただ、効率的な情報処理には、たとえば認知バイアスや錯覚といったような副作用も伴うから、時折ドジを踏む。

集中だけしたいのなら視野を広げるよりも狭める方が効率的かもしれない。ゴール前にじっと引きこもって守備だけをやるのであれば、かなり集中力は高まる。走って攻撃しながらリスクマネジメントにも注意を払うのは容易ではなく、注意力散漫になってほころびも生まれる。いったい自分は何の話をしているのだ?