Les Rêveries du promeneur solitaire

ポジティビズム!「論より証拠」論 その7

ワクチンとリスク認知について

インフルエンザの予防接種の季節がやってきた。今シーズンのワクチンは従来のA型2種類、B型1種類のウィルスに対応した3価ワクチンから、B型も2種類にして4価ワクチンになるらしい。だから値上がりするという報道を見た。


トーメーニンゲン♪ アラワルアラワル~♪
ウソを言っては困りますっ!
アラワレナイのがトーメーニンゲンです~!

リスク管理の恩恵は標的とするリスクが顕在化しない(アラワレナイ)というものだから、なかなか実感しづらい一方で、うまくいかなかったときばかり目立ってしまう。「ウソを言っては困ります」なんて思われてしまう。

ワクチン接種による感染症予防も、日本のような経済的に豊かな先進国で、特に健康な成人の場合(ようするに世界の中でも強い人たち)には、アリガタミを感じるのは難しいだろう。小さな確率とはいえ重篤な副作用の可能性もあるからなおさらだ。

当たり前かもしれないけれど、ヒトは天災よりも人災を嫌う。ヒトはなにか行動を起こして1人を犠牲にするよりは、なにもせずに5人死なせるほうを選ぶかもしれない。安易には非難できない。「トロッコ問題」という難題もある(↓)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B3%E5%95%8F%E9%A1%8C

しかも、公衆衛生は全体主義的で「上から目線」のパターナリスティックな側面がないともいえないから、反発を感じるヒトがいてもまったく不思議ではない。

ヒトは意識的かどうかにかかわらず、嫌いなものに対しては、恩恵を過小評価しリスクを過大評価しがちだという。逆に好きなものに対しては恩恵を過大評価しリスクを過小評価する傾向がある。

端的にいうと、好きなものはローリスク・ハイリターンで、嫌いなものはハイリスク・ローリターンと映る。福山雅治はローリスク・ハイリターンで、ふつうのおっさんはハイリスク・ローリターンである。当たり前か。この当たり前のココロの傾向には感情ヒューリスティックという名前がついている。

感情ヒューリスティックは誰にでもあることで、自分や他人に好き嫌いで判断するなと掛け声をかけることはできても自ずと限界があるから、そういうのがあることを前提にして柔軟に対応できたほうがいいのかもしれないね。

ワクチン報道について

こんなことを書いたのは、次の報道を見たからだ。

■インフルワクチン:乳児、中学生に予防効果なし - 毎日新聞
http://mainichi.jp/shimen/news/20150830ddm001040149000c.html

または、
http://www.msn.com/ja-jp/news/techandscience/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%AF%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%B3%E4%B9%B3%E5%85%90%E3%80%81%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E7%94%9F%E3%81%AB%E4%BA%88%E9%98%B2%E5%8A%B9%E6%9E%9C%E3%81%AA%E3%81%97/ar-AAdKfNO

インフルエンザのワクチンを接種しても、6〜11カ月の乳児と13〜15歳の中学生には、発症防止効果がないとの研究成果を、慶応大などの研究チームが米科学誌プロスワンに発表した。4727人の小児を対象にした世界的に例がない大規模調査で明らかになったという。

これは事実なのだろうか。この論文を確認してみよう。

元論文について

プロスワンはいわゆるオープンアクセスジャーナルで、オンライン上で全文を無料で読める。

Effectiveness of Trivalent Inactivated Influenza Vaccine in Children Estimated by a Test-Negative Case-Control Design Study Based on Influenza Rapid Diagnostic Test Results(インフルエンザ迅速試験結果に基づいた検査陰性症例対照研究による小児における3価不活性インフルエンザワクチンの有効性)
http://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0136539

冒頭の要約部分を以下に和訳してみた。ただし、読みやすいようにコマメに改行して箇条書きにしてみた。

要約
  • 我々は、2013-2014シーズンに日本の22の病院において医学的看護のもとで検査確認された6ヶ月から15歳の小児のインフルエンザに対するワクチンの有効性(VE)を評価した。
  • 我々の研究は、インフルエンザ迅速試験(IRDT)の結果に基づく検査陰性症例対照デザインによって実施された。
  • 38℃以上の発熱により我々のクリニックに訪れ、且つIRDTを受けた外来患者が本研究に登録された。
  • IRDTの結果が陽性の患者は症例として記録され、陰性の患者は対照として記録された。
  • 2013年11月から2014年3月までの間、合計4727名の小児患者(6ヶ月から15歳)が登録された。
  • インフルエンザA型が陽性だった876名のうち、66名はA ( H1N1 ) pdm09で、残りの810名のサブタイプは不明である。
  • 1405名はインフルエンザB型が陽性であり、そして2445名は陰性であった。
  • 全体のVEは46%(95%信頼区間[CI]39-52)。インフルエンザA型、A ( H1N1 ) pdm09、インフルエンザB型に対する調整後VEは、それぞれ63%(95%CI56-69)、77 % ( 95 % CI , 59– 87 ) 、26 % ( 95 % CI , 14– 36 )であり、6~11ヶ月の幼児においては、インフルエンザA型、B型いずれに対してもインフルエンザワクチンは効果的ではなかった。
  • インフルエンザワクチンの2回接種は、インフルエンザA型感染に対して1回接種よりもより良好な予防となった。
  • 入院加療したインフルエンザ感染に対するVEは76%であった。
  • インフルエンザワクチンはインフルエンザA型、特にA ( H1N1 ) pdm09に対して効果的であったが、インフルエンザB型に対してはそれほど効果的ではなかった。

新聞記事とは雰囲気が違っている。もともとB型には効き目がいまひとつと言われているようで、それを再確認する形の結論になっている模様。

「6~11ヶ月の幼児においては、インフルエンザA型、B型いずれに対してもインフルエンザワクチンは効果的ではなかった」と書いてあるけれども、これについては論文の本文を見ると、6~11ヶ月の幼児に対する有効性は、併存疾患などの要素を調整した後の数字で、A型30%、B型は不明、全体(A型+B型の合計)で21%となっている。

これだけだとA型と全体は多少なりとも効果がでているように見えるけれども、95%信頼区間がそれぞれ▲85%~74%、▲87%~67%と下限がマイナスになった。ゼロが効果なし。マイナスは逆効果を示す。95%信頼区間の中にゼロを挟んでプラスとマイナスに割れるというのは、5%の有意水準統計学上の有意差がなかったということ。

有意差がないということは、効果が確認できなかったということにはなるのだけれども、95%信頼区間は幅がとても広い。幅の広さは結論の精度が低いことを示している。この広さはなにも言えることがないくらいだと思う。

なんで精度がこんなに低いのかというと、真っ先に考えられるのはサンプルサイズ。実際にこの論文では6~11ヶ月のB型に関しては人数が少なすぎるとして評価を見送って不明とした。

6~11ヶ月の幼児の人数が215人。検査結果の内訳は、A型陽性が39人、B型陽性が10人、陰性が166人だった。

A型陽性39人のうちワクチン接種者は6人、評価を見送ったB型は、陽性10人のうちワクチン接種者は2人だった。すなわち、A型とB型の合計は、陽性49人で、うちワクチン接種者は8人となる。一方、検査陰性の166人のうちワクチン接種者は34人だった。

A型の場合でこの前紹介した2×2表*1を埋めるとは次のようになる。


f:id:sillyreed:20151012213711j:plain

オッズ比は(6/34)÷(33/132)≒70.6%。つまり、A型検査陽性はワクチン接種によって70.6%に減った。ワクチンの効果(VE)は、29.4%(=1-70.6%)だ。ワクチン接種はA型検査陽性を29.4%減らした。この数字にさっき書いたような併存疾患、地域差、発症からの期間の影響を調整して、調整後VEを30%と見積もっている。

でも、一つの研究結果は一つの確率的事象に過ぎない。サイコロ振って1の目が出ても、サイコロの目が全部1だというのはおかしいから、統計学のテクニックを使ってこの結果の評価を行う。ここでは一般的な方法である区間推定を使っている。個々のサンプルのバラツキ具合から95%の頻度で的中する範囲を推定する。たとえば、同じ実験を100回やったら95回くらいはこの区間におさまるだろうと考えられる範囲。

サンプルサイズが小さいので95%信頼区間は▲85%~74%と大きく広がった。A型を74%減らすこともあり得るし、逆に85%も増やすこともあり得てしまう。これは効果がないことが分かったというより、精度の問題で結論が出せなかったという方が妥当だろう。効果がないとハッキリいうのなら、信頼区間はなるべくゼロ(オッズ比=1)に近い狭い範囲に落ち着かないといけない。

13~15歳も有意差が出なかったけれども、やはり人数が少なくて信頼区間が広い。また、他の年齢層と違って1回接種のケースが多いことも関係しているかもしれない。

ちなみに上の新聞記事では、とても大規模な調査で効かないことが判明したみたいに読めてしまう。よく読むと文法的にはそう書かれていないのかもしれない。プロが書いているだけあって予め逃げ道が用意されている文章な感じもする。そうだとすると意図的に偏らせているということになるのだろうけれどわからない。考え過ぎのような気もする。

症例対照研究(ケース・コントロール・スタディ)

今回の研究デザインである症例対照研究は、結果が分かってから、その前の時点を振り返って特定の曝露状況を調査するというスタイル。時間を遡る形のいわゆる後ろ向きの研究で、時間やコストなどのリソースを節約できるけれども、たとえば臨床試験のように時間の流れに対して前向きの研究と比較すると、一般論としてはバイアスが入りやすくて信頼性が劣るとされている。

ただ、事件は実験室で起こるのではなく現場で起こっているから、常に理想的な方法でなければ無意味ということではない。やれることをやって、理想と離れている分は、ある程度、結論を割り引いて考える必要があるかもということになる。

インフルエンザの流行期、38℃の発熱のある患者にインフルエンザの検査をすることは医療的にも意味のあることだから、医療上の必要性のない人を実験だけの目的で検査するより倫理上の課題も少なかったり、いろいろと都合がいいのだろう。たぶん。

オープンアクセスジャーナル

伝統的な論文誌の場合、投稿は無料で読者が費用を負担する。一方、オープンアクセスは投稿者が費用負担して論文を掲載してもらう仕組み。

メリットもあるがデメリットもあり、中には金さえ払えば内容を問わず掲載してくれる雑誌もあるとされる。プロスワンはその中ではマシな方だろう。というか、あまりにもインチキ科学誌が多いから、かなり真っ当な方と言えると思う。ある研究で、オープンアクセスジャーナルにインチキ論文を送り付けたところ、プロスワンはきちんとリジェクトしたらしい*2

それでも査読は比較的緩めで、その結果として内容は玉石混合なので、オープンなのはいいにしても、その割に自分のような審美眼を持っていない素人が読むには扱いがやっかいかもしれない。しょせん生半可なのに分かったつもりで読んじゃうとヤケドしそう。

けれども権威のある科学誌も完璧にはほどとおい。ヒトのやることだからひどい場合には捏造もある。そもそも予想に反して不都合な結果が出てしまった研究は、お蔵入りしてどの科学誌にも載らないケースも考えられる。これには出版バイアスなんて名前がついてる。

だから一つの論文で結論が決まることはなく、独立した研究によって繰り返し再現されることが重要になる。できれば方法論的により優れた研究デザインで。

本日のBGM

とりあえず今日はこれ。


*1:http://sillyreed.hatenablog.com/entry/2015/08/23/212640

*2:https://www.sciencemag.org/content/342/6154/60.full “ PLOS ONE, was the only journal that called attention to the paper's potential ethical problems, such as its lack of documentation about the treatment of animals used to generate cells for the experiment. The journal meticulously checked with the fictional authors that this and other prerequisites of a proper scientific study were met before sending it out for review. PLOS ONE rejected the paper 2 weeks later on the basis of its scientific quality.”