Les Rêveries du promeneur solitaire

The Perfect Stranger

他人事のような言いぶりで恐縮ですが、自分はおそらく現代音楽に興味がないと思われる。主観を言えば昔から「少しばかりは興味はある」と思っているものの、これまでまともに現代音楽を聴いたことがないという事実を振り返ると積極的に興味があったと言えそうにない。

今も主観的には「少しばかりは興味はある」と思ってはいるものの、たとえば今後一週間以内に具体的な行動を起こそうという予定はない。だから、自分を他人のように外側から眺めてみた「ありのまま」の姿は、興味があるようには見えないというのが妥当な線だと思う。

内面の主観と外見とどっちが「ありのまま」なのかは一概には言いづらい。主観を軽視すると本末転倒になりかねないかもしれない。ただ、主観が感じ取れるのは意識にのぼってくる範囲内で、その背後にはアクセスできない。「少しばかりは興味はある」という主観は表層的な思い込みに過ぎないのかもしれない。

興味がないと思ってやっていないことと、興味があると思っているのにやっていないこととは、主観上は異なっているように思えるのだけれども、行動自体はさして変わりはない。その一方で、苦手で嫌いだったはずのランニングを今の自分がやっているというのは、我ながら不思議で面白いものだなあと思う。

それこそ思い込みを原動力にその気になっているものの、自分らしくないことをやっている自覚はあり、他人を演じているような気分になることもある。出来具合は「ありのまま」というか「それなり」ではあるけれど、それにしても「主観的な自分らしさ」からもっと遠く外れたことだって案外できるようになるかもしれない。

なんてね。

テニスやゴルフはさすがに遠すぎるけれど、現代音楽なら比較的近場な感じがする。主観的には^^; まあ、個人的な趣味の話だから自由でお気楽なものだ。


さて、ピエール・ブーレーズという現代音楽の偉い作曲家が亡くなったというニュースを見た。どっかで聞いたことがある名前だなと思ったら、フランク・ザッパの曲の指揮をやったことのある人だった。



上の曲は、1984年発表のアルバム、’Boulez Conducts Zappa: The Perfect Stranger’の1曲目に収録されたタイトル曲。

Perfect Stranger(赤の他人、見知らぬよそ者)というのは、現代音楽界におけるザッパ、ロック界におけるブーレーズを指しているという説明があるようだ。わりとザッパらしい曲と思う。

Boulez Conducts Zappa: Perfect Stranger

Boulez Conducts Zappa: Perfect Stranger


おまけ

自分を知り、自分を変える―適応的無意識の心理学

自分を知り、自分を変える―適応的無意識の心理学

今回は以前に読んだこの本のことを思い浮かべて書いてみた。一年以上前に読んだものだから記憶はざっくりであいまいだ。タイトルは自己啓発本みたいだけどアメリカの心理学者が書いたわりと固めの内容で翻訳もプロ翻訳家でなく日本の心理学者によるもの。

原題は’Strangers to Ourselves’。 なんて訳したらいいのかな。直訳的には「私たち自身にとって見知らぬ人」とかそんな感じ?副題は'Discovering the Adaptive Unconscious.'「適応的無意識の発見」。