Les Rêveries du promeneur solitaire

不自由な選択

本日のBGM




You see, it's all clear
You were meant to be here
From the beginning


ほら、はっきりしてるだろ。
おまえはここにいるはずだったんだ。
当たり前に。

アプリオリタブララサか

イギリス経験論の先駆者、ジョン・ロックは、ヒトに生得観念はなく、生まれながらにして白紙「タブララサ」であると考えた。誰もが白紙の状態から始まって後からそこにいろいろ書き加えられていく。経験は「主体が外部環境から受け取る刺激」と言い換えることもできる。

一方、ドイツ観念論の先駆者、カント大先生はロックよりも100年程度後の世代。彼の場合は、ヒトには一定の認識能力や概念が生まれながらにして備わっているとした。この経験に先んじている認識や概念、生得的であること、検証するまでもなく当然であること、自明であることを「アプリオリ」という。

ウジかソダチか

ところで、一卵性双生児は、もとは同じ一つの受精卵から生まれてくるので、エピジェネティクスとか面倒くさいことを省けば基本的に同じDNAを共有している(共有率100%)。DNAのみならず、通常は生まれてくるまでの間の母胎内の環境も共有している。養子に出されたりしない限り、養育環境など生まれた後で受ける刺激(経験)も、同じではないにしても比較的似ていることが多い。

一方、二卵性双生児の場合、DNAの共有率は一般的な兄弟姉妹と同じく50%である。一方、胎内環境、生後の環境の共有率は一卵性双生児と同じ程度。

より一般的な兄弟姉妹の場合、DNAの共有率は前述のとおり50%。胎内環境、生後の養育環境の共有率は双生児よりも低い。ただアカの他人と比べればずっと高い。

生後すぐに養子に出された場合、他の兄弟姉妹とのDNAの共有率や胎内環境はそれぞれのパターンと同一(一卵性双生児=100%、その他=50%)であるが、生後の環境はほとんどアカの他人と同じレベル。

このような共有の状況を踏まえたうえで、「ある事柄」に関するそれぞれの兄弟姉妹間の差やアカの他人との差を比較することで、その差が生じている要因を遺伝的な素因による影響の度合とその他の要因による影響の度合とに分解して把握することが理屈上可能になる。ここでいうその他の要因は一般に「環境要因」と呼ばれる。

「ある事柄」というのは、たとえば、疾患、趣味嗜好、認知特性、行動、知能、果ては人格まで多岐にわたる。ある疾患の発症について遺伝的素因は○%で環境要因は×%だとか、知能の△%は遺伝子で決まるとかそんなふうな議論になる。

ヒトはアプリオリに持って生まれた遺伝的素因に外部環境などから受け取る経験を書き加えて変容しながら生きていくのだ。

遺伝か、環境か。氏か、育ちか。いや、待てよ。なんか忘れていないだろうか?「自由意思」はどこへ行った?

自由意思はひょっとしたら存在しない可能性がある。
ユメかマボロシのようなものかもしれない。
もしあったとしても、それほどゴタイソウなシロモノではないのかもしれない。
自由意思が限定的だということは、選択の余地が少ないということだ。
いずれにしろ、取り留めのない、比較的どーでもいー話ではあるけれど。。

ウンメーかグーゼンか

キース・エマーソンが自殺した。拳銃で自分の頭を撃ったらしい。一説には、晩年、退行性の神経疾患で指を自由に動かせなくなっていた。うつを患っていたと言う。

退行性の疾患はさぞや恐ろしく不安なものだろう。キーボード奏者が指の障害となればなおさらだ。うつになるのはむしろ自然のことのように思う。

うつ状態、手元には拳銃、たとえばそこに酒も一緒に置いてあったとする。そんな状況のもとで、たとえばの話、憂さ晴らしに酒を飲み、酔っ払った勢いで頭をぶっ放すようなことがあったとして、当然とまでは言えなくても、そんなに異常なことではないように思う。

運命か、偶然か、それとも自由な選択なのか。他人からみれば他の選択肢を採れたように思うし、採って欲しかったと思うけれど。


トリロジー(K2HD紙ジャケット仕様)

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