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Les Rêveries du promeneur solitaire

サイコパスの真実

サイコパスの真実 (ちくま新書)

サイコパスの真実 (ちくま新書)

人当たりがよく、優しい言葉をかけ、魅力的な人柄。だけど、よくよく付き合うと、言葉だけが上滑りしていて、感情自体は薄っぺらい……。このような人格の持ち主を「サイコパス」と心理学では呼ぶ。近年、犯罪者の脳の機能や構造などが明らかになり、サイコパスの正体が明らかにされつつある。本書では、最先端の犯罪心理学の知見にもとづいてサイコパスの特徴をえがき、ヴェールに包まれた素顔に迫る。

前回のエントリで紹介した「入門 犯罪心理学」と同じ著者の本です。同じちくま新書からの第二弾。

サイコパスについては前著でも触れられているのですが、本作では焦点を絞り掘り下げて紹介しています。

なお、このブログでは書かれた順番で紹介していますが、実は自分は今回の「サイコパスの真実」を先に読んで面白かったので、前著の「入門 犯罪心理学」へ遡って読んだのでした。

雑感

今日はまず雑感から。

正直、読んでいて何度か嫌悪感が込み上げてくるのを感じたのですが、感情は感情として理性で読み進めました。

その嫌悪感の源泉がなんだったのかと考えてみると、自己の欲望最優先とか、ほぼ生まれつき良心がないとか、他人が苦しんでいるのをなんとも感じないとか、それなのに異性にもてるのは世の中おかしいだろとか、「うらやまけしからん」とか、会社のあの嫌な偉い人はひょっとしてサイコパスなんじゃなかろうか?とか。

サイコパスの特徴について、自分にも当てはまりそうかなと思う部分もいくつかあったのだけれど、自分はなんといっても小心者で不安を感じやすい。ホラー映画もジェットコースターも苦手。時代劇の血を見るのもゾっとしてしまう。サイコパスになりたくないにしても、もう少しでいから冷静とか勇敢になりたいですわ。「戦士の遺伝子」なんてかっこいいよなあ。

サイコパスは「どうせ不器用な人なのだろう」という先入観があったため、コミュニケーション能力や他者操作性が高い(他人を巧みに使う)というのは意外だった。

たとえば自閉スペクトラムの人たちとは共感能力の乏しさとう面で共通するけれど、対人・コミュニケーション能力の面では全く逆。不安や恐怖も比較的感じやすい人たちだと思う。

でも「共感能力がない」というのは、多数派が少数派に対して同調圧力をかけているという面もあるように思っている。サイコパスが我々多数派に対して共感できないのと同じように我々もサイコパスに共感することはできないのではないか(自分にはムリ)。多数派はサイコパスに共感できないので、強く恐れるし嫌悪感を持つし排除しようとする。結局のところ「どっちもどっちではないのか」という面もあるのでは?

とはいえ世の中そんなに甘くはない。ダイバーシティインクルージョンとはいうものの、突き詰めていくと綺麗ごとでは済まされないところに突き当たってしまう。サイコパスの排除は結局のところ社会全体のためにならないという理屈は合理的で筋が通っていると思うけれども、一方でアリンコのように殺されるのはたまったものではない。この理性と感情の乖離の幅は広くて解消が難しい。

サイコパス的リーダーで想起したのは「項羽と劉邦」の項羽項羽はとにかく勇敢で強い。残虐で冷淡で無反省。

今日は時間があったので長い記事になってしまいました。

目次

はじめに 隣りのサイコパス
第1章 私が出会ったサイコパス
第2章 サイコパスとはどのような人々か―サイコパスの特徴
第3章 マイルド・サイコパスサイコパススペクトラム
第4章 人はなぜサイコパスになるのか―サイコパスの原因
第5章 サイコパスは治るのか―サイコパスの予防、治療、対処
第6章 サイコパスとわれわれの社会―解決されないいくつかの問題
おわりに サイコパスはなぜ存在するのか

内容について

サイコパスの研究をもとにその定義や様態、原因、治療を含めた対処法等について説明したのち、サイコパスの存在理由について筆者のアイデアが述べられています。

サイコパスの定義と様態

サイコパスの中核的な要素は良心や共感性の欠如。本書では以下の四因子で説明している(カナダの反省心理学者ロバート・ヘアによる四因子)。

・対人因子
表面的な魅力、尊大な自己意識、他者操作性、病的な虚言癖、性的な奔放さ、自己中心性と傲慢さ。一見人当たりが良く魅力的。異性からもてる。卓越したコミュニケーション能力。人を操作する術に長け、心に弱みや悩みを抱えている人を見抜くのが得意。

・感情因子
冷淡性、共感性の欠如、良心の呵責や罪悪感の欠如、不安や恐怖心の欠如、冷淡さと残虐性、浅薄な情緒性、自分の行動に対する責任を感じない。後悔しない。

生活様式因子
行動コントロールの欠如、現実的で長期的な目標の欠如、衝動性と刺激希求性、無責任性、寄生的ライフスタイル。

・反社会性因子
幼少時の問題行動、少年期の非行、早期からの行動的問題、仮釈放の取り消し、犯罪の多方向性。

サイコパスはマイルドなものも含めると100人に1人の頻度で存在する。男性が多い。サイコパス=犯罪者というわけではなく、多くは社会でふつうに生活している。同時に、犯罪者=サイコパスというわけでもなく、刑務所人口のうち15%~25%程度。

ジェームズ・ボンド(007)はサイコパスの特徴を持っている。政治家、企業経営者、学者、トップアスリート、芸能人、アーティストなど成功した人にも多いという。例えば、スティーブ・ジョブズ、トランプ米大統領にもサイコパス的特徴が指摘されている。

そこまで大物でなくとも、企業の中にはサイコパスが存在し、ハラスメントや不正、企業犯罪に関与することがある。また反社会性が低く能力の高い場合には、リスクを恐れない勇敢さや冷静さ、高いコミュニケーション能力、強いリーダーシップといった長所を生かすことのできている「よいサイコパス」も存在する。

サイコパスの原因

認知、脳画像、神経伝達物質、遺伝、環境の各側面からみた原因論

認知面(説明モデル)からの仮説
・恐怖機能不全モデル
不安や恐怖などの感情的反応(生理的な反応を含む)の著しい弱さ。感情的情報のインプットがあっても、脳の情報処理回路のどこかでそれが認識されないような状況になっているのではないか。

・暴力抑制装置モデル
共感性の欠如により、暴力抑制装置が働かない。他者の表情など苦痛の手掛かりを読み取れない。

・反応調節モデル
注意力、判断力などの高次機能の障害。極端な集中傾向。たとえば自分の利益を追求するあまり、他者の利益や感情を無視する傾向。


脳の解剖学的側面(脳画像)からの仮説
偏桃体の機能不全仮説。情動を司る偏桃体など大脳辺縁系(温かい脳)が弱い一方で、理性を司る前頭前皮質(冷たい脳)は比較的正常で、バランスを欠いている。


脳の生化学的側面(神経伝達物質)からの仮説
ドーパミンの過剰。過剰に快楽や刺激を求める傾向。
セロトニンの過剰がセロトニンに対する感受性の低さ:「セロトニン不感症」につながり、攻撃性として表出するのではないか。


遺伝と環境
ある双生児研究の過去研究のレビューによると反社会的行動に対する遺伝と環境の寄与率は、遺伝が96%、共有環境0%、非共有環境4%。つまり遺伝の影響が大きい。

際立った攻撃性のある非行少年は「戦士の遺伝子」、MAOA-Lを持っている。MAOA-Lはセロトニンを分解する酵素の算出を抑制する。これがセロトニン過剰につながっている。ただし、この遺伝子が単独でサイコパスを作り上げるわけではない。

一般にパーソナリティの形成には遺伝的素因に加えて環境要因の複合的に影響している。遺伝子の発現様式には環境要因が影響を与える。サイコパスも同様である。ある英国の研究においてサイコパスと非サイコパスとの環境要因に差があったものとして大きい順に、「父親の不関与」、「身体的ネグレクト」、「父親が犯罪者であること」、「世帯収入の低さ」、「母親が犯罪者であること」、「崩壊家庭」、「きょうだいの非行」があった。

サイコパスの治療

治療は容易ではない。非サイコパスと同様の治療法では効果が期待できないばかりか逆効果の可能性も。本人の共感性や良心に訴える方法はムダ。本人に行動を改めようするモチベーションが欠けるため治療者との間に信頼関係や協働関係が築けない。

したがって十分なアセスメントとサイコパスに特化した治療プログラムが必要。介入法としてエビデンスがあるのは認知行動療法。長期間の認知行動療法集団療法に加えて個人療法でも実施し、さらに早期治療を行えば、効果が見込めそう。

治療目標をサイコパスというパーソナリティの問題の改善(善人になること)に置くのではなく、彼らのライフスタイルをより向社会的なものにすることに置くのが現実的。

早期治療と予防が効果的であり重要。例えば貧困で未婚の若い母親などに対する育児サポートやペアレントレーニング。単に刑事司法の問題、道徳や社会規範の問題ではなく、癌や生活習慣病などと同じく、生物学的要因、環境的病因によって発症し、予防も治療も可能な「公衆衛生上の問題」としてとらえることが必要。

薬物療法では、リチウムや抗うつ剤SSRI)、抗てんかん薬に効果がある可能性が示されている。

身近なサイコパスへの対処

・むやみに近寄らない。
・表面的な言葉を鵜呑みにしない。
・会う必要があるときは、一人でなく複数で会うようにする。
・自分の個人的なことは話さない。
・本人の経歴等については、客観的証拠を基に判断する。
・組織や企業では、重要な意思決定ができるポジションには就かせず、個人情報やセキュリティを扱う部署に配置しない。

偏見や差別の対象とするのではなく、害を回避しながら上手に付き合っていくことが必要。もしかすると自分もサイコパスかもしれない。

解決困難な問題(哲学的課題)

サイコパス責任能力について(自由意思の存在に関する問題)
・超ハイリスクなサイコパスへの対処(過剰な拘禁、社会的排除の是非)
・国家による遺伝子管理・子育て管理など、極めてラディカルな予防措置(消極的な優生学と親免許制度等の是非)

サイコパスの存在理由

サイコパスが絶滅せず、現代まで生き延びたということは、暴力に満ちた人類の歴史の中でサイコパスであることは一つの適応的な生き方であったし、人類全体にとっても意義のあるものだったのかもしれない。現代においてサイコパスが異常になったのは、社会の方が変化したからかもしれない(障害の社会モデル的な観点)。

集団や種全体というマクロの視点からは、サイコパスを必要以上に恐れ、排除し、悪魔のレッテルを貼るのではなく、刑罰、治療、予防などによる対処はそれぞれに重要ではあるけれども、究極のところでは、その存在と共にあり続けることが必然なのだ。

入門 犯罪心理学

入門 犯罪心理学 (ちくま新書)

入門 犯罪心理学 (ちくま新書)

犯罪心理学の現状について平易に紹介した本です。著者は犯罪心理学の専門家として現場でも研究面でも経験のある人です。

近年、犯罪心理学は目覚ましい発展を遂げた。無批判に信奉されてきた精神分析をはじめ実証性を欠いた方法が淘汰され、過去の犯罪心理学と訣別した。科学的な方法論を適用し、ビッグデータにもとづくメタ分析を行い、認知行動療法等の知見を援用することによって、犯罪の防止や抑制に大きな効果を発揮する。本書は、これまで日本にはほとんど紹介されてこなかった「新しい犯罪心理学」の到達点を総覧する。東京拘置所や国連薬物犯罪事務所などで様々な犯罪者と濃密に関わった経験ももつ著者が、殺人、窈盗、薬物犯罪、性犯罪などが生じるメカニズムを解説し、犯罪者のこころの深奥にせまる。

目次

第1章 事件
第2章 わが国における犯罪の現状
第3章 犯罪心理学の進展
第4章 新しい犯罪心理学
第5章 犯罪者のアセスメントと治療
第6章 犯罪者治療の実際
第7章 エビデンスに基づいた犯罪対策

内容について

・少年犯罪の凶悪化が進んでいる。
・日本の治安は悪化している。
・性犯罪の再犯率は高い。
・厳罰化は犯罪の抑制に効果がある。
・貧困や精神障害は犯罪の原因である。
・虐待をされた子どもは非行に走りやすい。
・薬物がやめられないのは、意志が弱いからだ。

これらの主張は、長い間、さしたる根拠もなくメディアで語られ、一般にも信じられていることですが、いずれも事実ではなく、いわば「犯罪心理学における神話」だと著者は指摘します。

犯罪心理学というと、テレビで頭の良さそうなオッサンが難しい面持ちで恐ろしくて興味深い「心の闇」のストーリーを解説するといったイメージがあります。本書の著者はその類のものは「似非犯罪心理学」と手厳しいです。

私たちには犯罪に対してひと際注目する習性があるようです。犯罪報道を、感情を揺さぶるエンターテイメントとしてエンジョイしています。メディアはそれに応えようと分かりやすくて面白い情報を編集します。

「通俗心理学」という言葉があるように、心理学はもともと胡散臭いものほど人気があるという厄介な傾向があります。また、フロイト主義などの精神分析の影響(呪縛)は特に日本においては未だ強固だと言われており、それは犯罪心理学においても同様のようです。

著者は現在の犯罪心理学について、このような主観的解釈や恣意的なこじつけとは異なり、データや先行研究の知見に基づいた科学的に裏付けられた知識であること、したがって犯罪の真の理解と効果的な犯罪対策に貢献できることを主張しています。


本書では特に犯罪のリスク要因と犯罪者の治療に関する科学的な研究動向について多くのページが割かれて、再犯予防に効果的な治療やサポートが必要だと訴えています。

治療に先立って適切なアセスメントを実施し、リスクやニーズを見極めた上で介入法の選択を行います。治療法で効果が期待できるのは認知行動療法です。日本で伝統的に盛んな精神分析心理療法ゲシュタルト療法などの人間学的心理療法の効果はエビデンスの支持がありません。

認知行動療法は端的にいうと、患者の思考パターンの歪みに注目し、これをより適応的なものに修正するトレーニングを行うもの。主に思考にアプローチし、最終的に気分や行動も変容させることを目的としています。一般の精神医療においても必要性を訴える声が大きいのですが日本では専門家が不足しているとされています。


一方、日本の刑事司法は厳罰化の方向に舵を切っています。厳罰化は再犯率を高める虞があるそうです。著者は刑罰による応報を否定しているわけではありませんが、しばしば感情論が先走りする傾向が見られることに対して懸念を表明し、効果的な犯罪抑止のためにエビデンスに基づいた意思決定、政策決定の必要性を訴えています。

「キャンベル共同計画」は犯罪に関する良質のエビデンスを提供しているデータベースを無料で提供しています。これは医療における「コクラン共同計画」をお手本として運用されているものです。日本語サイトも開設されています。

キャンベル共同計画

1990年代に「医療がエビデンスに基づいた医療」の名のもとでパラダイム転換を進めてきたように、グローバルな潮流として刑事司法や少年司法も行動科学:犯罪心理学の知見を取り入れていくことが展望されます。

雑感

とても読みやすい文章でした。ふだんあまり新書とか読まないからかなあ。

これまでも残忍とされる事件を解説した本を読んだことがあるのですが、必ずしも実体と言えないようなセンセーショナルな報道合戦や、ツイッターなどを通じたネガティブな直情反応の拡散(日常ストレスの発散みないなやつ)、それから世の中の不寛容なムードの高まり、厳罰化の風潮には、以前からなんとなくいやだなあと思っていました。

この本はあくまでも「さわり」の部分なのでしょうけれども、「なるほど」と思うこともいくつかあり、勉強になりました。

2乗3乗の法則と体格と戦闘力(!)と

暑くてなにもする気にならないと、いろんな余計なことを考えてしまうま。

筋力が筋肉の重量の増加に対して0.67乗しか増えないという説をネットで見つけた。この理屈に従うと、たとえば筋肉の重量を2倍に増やしても1.6倍くらいしか増えない。重量3倍でやっと2倍程度だ。

なぜだろう。さらにググってみたらその根拠に「2乗3乗の法則」というのをみつけた。

筋力は筋肉の太さ(=断面積の広さ)に比例する。一方、筋肉の重量はその体積に比例する。正方形の面積と立方体の体積の計算式が示すように、面積は一辺の長さの2乗で体積は3乗。だから、たとえば一辺の長さが2倍になると面積は4倍だが体積は8倍に増える。面積が9倍のとき体積は27倍。この関係を一般化すると「面積の増加=体積の増加の2/3乗」が成り立つというのが理屈。2/3乗≒0.67乗。

恐竜が巨大化しすぎて滅びたという言説にも2乗3乗の法則が関与しているらしい。この法則によれば巨大化しても筋力は体重ほど増えないから、しだいに動きづらくなってくる。それに加えて重い体重を足の裏で支えなくてならなないけれど、足裏の面積にしても体重ほどは増えないから、単位面積当たりの荷重が増大する。生活しづらい。

それから、恒温動物は同じ種でも寒い地域に生息するほど体長が大きい傾向にあるらしい(ベルクマンの法則)。マレーグマは小さいがホッキョクグマはでかい。ツキノワグマはその中間。

恒温動物が産生する体熱が体の体積(体重)に比例するのに対して放熱で外に排出する量は体表の面積に比例する。だから2乗3乗の法則によって体長が大きくなるにつれて体表面積/体重の比が小さくなると、放出する体熱/産生する体熱の比率が小さくなる(=寒さに強くなる=暑さに弱くなる)、ということらしい。生活する気候に合わせて自ずと産熱と排熱の収支が合うサイズになっているというのだ。ふーん。ゲルマン人がラテン人やアジア人より高身長なのもそのせいなのだろうか? 背の高い人は低い人より暑がりなの?

この体積と面積の関係は当然ながら人間とか動物に限った話ではないから、模型を作ってシミュレーションをするようなお仕事の人たちの間では、きっと常識の部類に入る話なのだろう。

ところで、ランニングで必要なエネルギーは、大雑把にいうと体重と距離に正比例するとされている。よく言われるのは「1cal/kg/km」。1kmの距離走るのに必要なエネルギーは体重1kgにつき1kcal。体重60kgで10kmなら600kcal。ランニングに必要なパワーも体重と速度に比例する。体重が2倍になると同じ距離を走るのに2倍のエネルギーが必要になるし、同じ速度で走るなら2倍のパワーが必要になる。筋量を増すことで得られる力の増加が重量ほどでないのならば、そのメリットは小さい。ちなみにエリートランナーの足の筋力は一般人よりも弱いようだ*1。ちょっと意外な感じもするけれど。

長距離ランナーの戦闘力(!)を示すものとしてよく使われる最大酸素摂取量 (VO2MAX)は主に心肺機能を示す指標ではあるが、やはり体重1kg当たりの値である(ml/kg/min)。VO2MAX=50は体重1kg当たり1分間に50mlの酸素を使えることを表している。同じVO2MAXなら体重が大きい方が使える酸素の絶対量は大きい。けれども体重が大きければ大きい分だけ走るのに必要な酸素が増えてしまう。結局、体重当たりの効率が重要になる。

大雑把に試算してみると、VO2MAX=50、体重60kgの場合、1分間に使える酸素は最大3リットル(=50ml*60kg)。酸素1リットルを使って糖質や脂肪から取り出せるエネルギーは約5kcal(5kcal/l=5cal/ml)というから、1分間に産生できるエネルギーは最大15kcal(3l×5kcal)となる。

一方、ランニングに必要なエネルギーは前出のとおりで、60kgの人が10km走るには600kcalが必要。

したがって、VO2MAX50、体重60kgの人が、100%の運動強度で10km走れば所要時間は40分(600kcal÷15cal)になる。100%の強度ではふつう10kmも走れないので90%とすると44分余り(600kcal÷15cal×0.9)。

体重を60kgから変化させても、VO2MAXが一定ならば最短所要時間(最大速度)は同じである。体重70kgなら必要なエネルギーが700kcalに増えるけれども、産生可能な最大エネルギーも17.5kcal/分に増える。結局のところ体重に関わらず、VO2MAXの値に5calを掛けた数字が1分間に走れる最大距離(=最大分速)になる*2

ただVO2MAXも筋肉が肥大化させるとなかなか維持するのは難しいという話があるらしい。体が大きくなれば酸素を巡らせるのも手間だということか。それとも肥大化する筋肉は主に速筋だからということか。いずれにせよエリートランナーの体型を見て推して知るべしといったところ。

サイクリングの場合、フラットなコースなら主な抵抗力は空気抵抗になる。空気抵抗には体格は多少関係するにしても体重は関係ない。むしろ慣性力は質量に比例するから、いったん加速してしまえば止まりにくくなる。車は急に止まれない。重い車ならなおさら。

サイクリングの戦闘力(!)を示す指標にはFTPというのが使われる。FTPは一時間持続可能なパワー。単位はワット、踏力トルク×ケイデンス(ペダルの回転スピード)によって生み出される。

FTPは体重当たりの指標ではなくパワーの絶対値だ。傾向として体重が重い方が有利で、体重60kgが70kgにFTPで対抗するのはけっこうしんどいらしい。踏力は筋力だけでなく自重も武器になる。とはいえ筋力には2乗3乗の法則の制約があるし、パワーはケイデンスで稼ぐこともできるのだからFTPの格差は体重ほどには開きにくいと思われる。

同じサイクリングでもヒルクライム(上り坂)となると主な抵抗力が勾配抵抗に変わる。勾配抵抗は質量に比例するから、戦闘力(!)を示す指標としては絶対値よりも体重当たりの効率が重要視される。パワーウエイトレシオ(PWR)は体重1kg当たりのFTPだ。

実際の走行時には自転車や装備の重量も加わるから、同じPWRならばFTPの絶対値が大きい方が、自転車等も含めた全体のパワーウエイトレシオは大きくなる。

しかしながら、前出のとおり筋肉の重量増がダイレクトに踏力やFTPのアップにつながるわけではないと思われるので体脂肪をより絞り込むなどしないと効率の維持・向上は難しいだろう。

ならばいっそのこと自転車を軽量化する?ロードバイクをさらに1kg軽くするには、けっこうなお値段が・・・。すでに洗練されまくったスーパーボディならともかく、ホビーサイクルの一般市民ならガンバッテ体脂肪の重量を絞った方がマシかもしれない。やっぱい世の中そう簡単にオイシイ話は転がっていなさそうだ。うーむ。

*1:コラム(健康・体力アップ情報)- 横浜市スポーツ医科学センターhttp://www.yspc-ysmc.jp/ysmc/column/health-fitness/run-2.html

*2:とはいえラフな見積もりの世界の話であり、本当はランニングエコノミー等も勘案しなければならないだろう^^;

新版 障害者の経済学

新版 障害者の経済学

新版 障害者の経済学

著者は、慶応大学商学部の教授で脳性麻痺のお子さんをお持ちの方です。
何年か前に旧版の方を読んだものの、恥ずかしながら内容はほとんど忘却の彼方へ^^;。新版が出ていたので気持ちを新たに読んでみました。

「障害者」と「経済学」。なんというかショールな組み合わせ。市場だの効率だの、身もふたもないことを臆面もなく言い放つ経済学に対して、福祉の人たちは馴染みづらいというか、いやだなあと思うかもしれませんが、限られたリソースからより大きな効果を引き出すために経済学の考え方が参考になることはあるのかなと改めて感じました。

帯の部分のキャッチコピー「障害者と作っているのは私たち自身である」。これは障害に対する本書のスタンスを示したものです。

障害には大きく2つの捉え方があります。ひとつは、障害をふつうの人と比較して機能の欠落した状態と捉える伝統的な考え方。障害者の内部に起因するものとする考え方で、これを「医学モデル」と言います。

もう一つは、障害は社会や外部環境によって規定されるものといった考え方。こちらは「社会モデル」と言われます。社会が健常者の範囲に厳格になれば障害者は増加します。もし世の中に眼鏡がなければ近眼の人も視覚障害者だったかもしれません。社会や環境が変われば障害の内容や程度も変わるのです。

「社会モデル」は比較的新しい考え方ではありますが、国連の障害者権利条約もこの考え方を採用しています。

ちなみに個人的には医学モデルも社会モデルも便宜的なもので、どちらか一方がホンモノで他方がニセモノというふうに理屈で割り切ってしまう話ではないように思っています。

内容についての詳細に代えて、終章「障害者は社会を写す鏡」から抜粋します。

本書ではこれまで、家族、教育、差別、施設、就労をテーマに障害者問題を扱ってきた。そこを通して私たちの社会はどう見えただろうか。障害者だから特別視して終わるのではなく、一般化した上で深く考えれば問題の本質が見えてくる。障害児が生まれれば家族の利己性や利他性があぶり出される。ニーズや成果が外からわかりにくい障害者を対象とすることで教育の本当の意義が見えてくる。差別の原因を探れば障害者に限らないさまざまな属性を持つ人にとって配慮が必要だとわかる。非営利組織のガバナンスは理念の曖昧な障害者施設にこそ必要不可欠だ。そして就労現場では、障害者を本業で戦力にできれば、適材適所による働き方改革の実現はたやすいことだろう。

私たちに必要なのは、障害者に映し出されている社会の姿に気づくことである。これは障害者から学ぶといってもいいだろう。身体障害者の活動ぶりを見れば、社会のバリアフリーの程度が分かる。知的/発達障害者は比較優位の重要性を教えてくれる。そして精神障害者からは、ワークライフバランスすなわち適度に休むことの大切さを学ぶことができる。こうした学びが私たちの社会を変えていく原動力になるのである。

<目次>

はしがき
序章 なぜ「障害者の経済学」なのか
第1章 障害者問題の根底にあるもの
第2章 障害者のいる家族
第3章 障害児教育を考える
第4章 「障害者差別解消法」で何が変わるのか
第5章 障害者施設のガバナンス
第6章 障害者就労から学ぶ「働き方改革
終章 障害者は社会を写す鏡
あとがき

アイアンマン70.3のリザルトについて

先日、アイアンマン70.3セントレア知多半島ジャパンというトライアスロンの大会に出ました。距離はスイミング1.9km+サイクリング90.1km+ランニング21.1kmです。
アイアンマン70.3セントレア知多半島ジャパン

個人的な感想はさておいて、リザルトが公表されたので眺めてみたいと思います。

1.データについて

リザルトのデータは、こちらのサイトから1ページずつエクセルにコピペしました。30ページに分かれているので面倒でした。

完走者1,380人、DNF100人、DQ(失格)2人。完走率93.1%。
完走者のうち男性1,274人、女性106人。女性は10%未満です。トライアスロンは女性が少ないです。過酷なイメージのせいでしょうか。アイアンマンというネーミングも男の子向けだもんね。

年代別カテゴリでは、40代(40-44と45-49の合計)が約4割を占めています。前後の30代と50代を合わせると約9割になります。

<表1>完走者の年代別カテゴリごとの構成


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カテゴリ分けのベースとなる年齢は2018年12月末時点の予定です。私は40代最後のレースというつもりで申し込んだのに50歳にカウントされてしまいました。おかげでカテゴリ別の成績は良かったのですが、なんだかちょっと複雑な気分。

50代の参加者はピークの40代と比べると減少しますが、直近3年間のデータを見る限りでは増加傾向のようです(2016年20.3%→2018年24.7%)。データは省略しますが全体的に高齢化が進行しつつあるようにも見えます。あと何年頑張れるのかなあ。

2.年代別カテゴリごとの分布(男性)

まず、男性の記録の分布を年代別カテゴリに区分して概観してみたいと思います。
完走者の記録について、年代カテゴリ別・男女別に四分位数と四分位範囲を算出してみました。

  • 四分位数とは、記録を上から順に並べて25%ずつ区切った場合の区切り目の記録です。つまり、第1四分位数は上位25%に位置する記録、第2四分位数は50%、第3四分位数は75%です。
  • 第2四分位数は中央値に相当し、その集団を代表する数字です。中央値は平均値に比べて極端な値の影響を受けにくい特徴があります。
  • 四分位範囲は、第1四分位数と第3四分位数の開差です。上位25%と下位25%を除外した中間50%のデータが収まっている範囲で、その集団のバラツキの大きさを示します。
  • 以下の<表2>は、男性を対象としたものです。nは人数、Sはスイム、Cはサイクリング、Rがランニング。トランジションはSからCへのT1とCからRへのT2を合計で示しました。Q1~Q3は各四分位数、IQRは四分位範囲です。
<表2>年代別カテゴリごとの記録の分布(男性)


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IQRはすべてのカテゴリにおいてランニングが最も大きいです。次いでサイクリング。圧倒的に小さいのがスイミングです。これはスイミングでは時間差が開きにくく、逆にランニングでは開きやすいことを示しています。

年代カテゴリ分けはしていないのですが、男性の記録の分布をもう少し細かく区分してみたものが<表3>です。

<表3>記録の分布(男性)


f:id:sillyreed:20180624172924p:plain

  • パーセンタイル(pt.)によって区分する方法で、先程の四分位数を細かくしたもの。各四分位数はそれぞれ25pt., 50pt.,75pt.に相当します。0pt.は最小値(1位)、100pt.は最大(最下位)です。
  • Meanは平均値です。各種目とも平均値と中央値(50pt.)にあまり大きな差は生じていませんでした。
  • σ(シグマ)は標準偏差です。IQRと同様にバラツキの大きさを示す指標です。やはりランニングの値が最も大きく、サイクリング、スイミングと続きます。

25pt.、50pt、75pt.のペースは上記の<表4>のとおりです。スイミングは100m当たり、サイクリングとランニングは1km当たりのスピードです。

<表4>種目別のペース(男性)


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サイクリングは距離や時間が最も長いのでそれなりに差が開きはしますが、1km当たりのスピードにはあまり大きな差がないようです。25pt.と75ptとの差はわずか17秒/km。時速で示すと3.8km/hの差(31.2-27.4)です。

しかしながら、空気抵抗はスピードの2乗で増大するので、31.2km/hと27.4km/hをパワーの出力値で示した場合には相当大きな開きになるのだろうと思います。スピードが上がってくるとパワーがなかなかスピードに表れにくくなるのです。そういう意味では実力の差が記録に表れにくい種目なのかもしれません。特にフラットなコースの場合。今回のコースは前半65kmまでフラットな周回、残り25キロはは比較的上り下りのあるコースでした。

距離・時間が圧倒的に長いサイクリングがランニングよりも差が開きにくいのは、ほかにも例えば「ランニングは最後の種目であり、なおかつサイクリングに続いて足を酷使するため、疲労の影響をより多く受けて持久力の差が記録に表れやすい」などといった理由があったりするのかもしれません。

また、<表4>のとおり、ランニングはペースのバラツキもとても大きいですが、前半に坂道が多かった影響もあるかもしれません。好天で気温も上昇して暑かったです。空の高いところからヒバリののどかな鳴き声が・・・。空を見上げてみようかな。でもそうしたら止まってしまう。ああ、なんでこんなことしているのかなあ。。後半は後半で平地でしたが階段や歩道橋もあってとっても楽しめました^^;

なお、スイミングの水の抵抗もスピードの2乗で増大します。ただ、スイミングの場合はペースの開きは大きいです。記録の差があまり開かないのは距離・時間が短いため。
個人的な印象ですが、トライアスロンのスイミングの場合はフィジカルよりもスキルの差が大きく、泳ぎが得意な人とそうでない人のギャップがより大きいように思います。
私の場合には海での泳ぎに慣れていないこともあり、もともと速くもないプールでのペースよりさらに遅くなってしまいます。

4.男女比較

年代別カテゴリごとの分布について、男女の記録の差(女性の記録-男性の記録)を示したものが下記の<表5>です。女性は年代カテゴリによっては人数が少なすぎるため、比較対象はまとまった人数のいる35歳から54歳を対象としました。ただし、合計の対象にはすべての年代が含まれています。

<表5>年代別カテゴリごとの男女差


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サイクリングで男女差が顕著になっています。一方、ランニングでは比較的差が小さい。先程みてきたとおり、男性のみではサイクリングの差はランニングよりも差が開きにくかったです。これは女性の間でも同様の傾向が見られます。それなのに男女比較ではサイクリングの差が最も顕著に表れるというのは興味深いです。

また、ランニングは男女差が比較的詰まっていて、30代後半や40代前半の中央値(Q2)の記録は女性の方が優れています。こちらも興味深い結果になりました。

個人的にスイムは女性の方が得意な印象がありましたが、今回の記録を見る限りそうでもないようです。女性の方がペース配分に慎重で、ランまで力を温存するということなのでしょうか?うーん、わかりません。

なお、女性の年代別カテゴリごとの記録の分布は次の<表6>のとおりです。Pro.と65-69の値がエラーとなっているのは、対象者がいないためです。

<表6>年代別カテゴリごとの記録の分布(女性)


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5.種目間の相関(男性)

最後に男性の記録を対象に各種目の相関を示したいと思います。
各種目の順位とトータルの順位について、相関係数マトリックスを次の<表7>で示しました。

相関係数は、-1~1の間の値をとります。平たくいうと、プラスは正の相関(同じ方向に動く傾向)、マイナスは負の相関(逆方向に動く傾向)、ゼロは無相関(バラバラ)を示します。

<表7>種目間の相関係数マトリックス(男性)


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各種目間の相関係数は、いずれも高めの水準の正の相関でした。たとえばスイミングでは、対サイクリング0.595、対ランニング0.507、対トータルで0.680です。

ただ、ひとつひとつの記録を散布図で示すとある疑いが浮かび上がってきました。

<図1>スイミング順位と各種目順位&トータル順位の散布図(男性)


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正の相関が高い場合、散布図は右肩上がりの直線に近い形状になります。負の相関では右肩下がりです。相関係数が1や-1の場合、散布図には完全な直線が描かれます。相関が低いとバラバラの形になります。

<図1>はいずれも右肩上がりの直線に近い形状にはなっているのですが、これは主に左下と右下につぶつぶが集中していることが大きい要因のように見えます。

このことは、スイミングの順位が極端に高い人は他でも極端に高い順位であり、逆にスイミングの順位が極端に低い人は他でもそういう傾向があるということを意味します。たとえて言うなら、プロ級とビギナーを同じ土俵で比較しているために起こっていることのようです。スイミンズ関係以外の散布図にも同様の現象が起こっていました。

ここでは各種目間の相関をみてみたいので、他の条件はなるべく均等にしたいところ。したがって極端な人たちをばっさり切り取って、トータル順位が上位25%から75%までの中間層50%の人たち、すなわち319位から956位の638人を対象に相関係数を出し直してみたのが、<表8>です。

<表8>種目間の相関係数マトリックス(男性のトータル順位上位25%~75%)


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  1. 各種目間の相関はいずれも低い。
  2. スイミングはトータル順位と相関が低め。
  3. サイクリングはトータル順位と相関が高め。
  4. ランニングはトータル順位と相関が最も高い。
  5. トランジションとトータル順位との相関も侮れない。

尤もトランジションは短時間で差が開きにくいので、いくら頑張っても順位への貢献度は限定されそうです。相関関係と因果関係は異なります。着替えの練習にばかり励んでも、成績はそう単純に上がらないと思われます。

ではなぜ、そこそこの相関がでているのかというと、トランジションの手際の良さは、経験や巧拙、疲労の度合い、肉体的・精神的な余裕など、背景にあるトータル順位に影響するような要素を間接的に反映しているのかもしれません。ええ、私はトランジションの順位が全種目の中で一番悪かったですよ。悪かったですねっ!

ここまでの結果から、ランニングは記録のバラツキが大きく、トータル順位との相関が比較的高いことが分かりました。この傾向は他のトライアスロンの大会でもよく見られるのではないでしょうか。

では、トータルの成績を上げるにはランニングの練習に重点をおけばいいのでしょうか?そこまで単純にいえるのかどうか、私にはわかりません。すいません。

最後に参考として散布図(トランジション以外)を示しておきます。

<図2>各種目順位&トータル順位の散布図(男性トータル順位319位から956位)


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おわり

ライト、ついてますか-問題発見の人間学

ライト、ついてますか―問題発見の人間学

ライト、ついてますか―問題発見の人間学

今まで知らなかったけれど、ジェラルド・ワインバーグという人はプログラマーの業界ではけっこうな有名人のようで、たくさん本を出しているし、たとえばウィキペディアにも載っている。

ただ、この本の存在を知ったのは、けっこう昔で、たぶん15年くらい前だ。ある個人のホームページで紹介されていた。いまはもうそのホームページは見当たらない。

最近、たまたま創造的な思考法だの、デザイン思考だのについて考える機会があった。自分はユニークな事柄が好きな方だとは思ってはいるものの、仕事はわりと分析的なものが多いし、プライベートでもクリティカルシンキング関連も本を好んで読んでいる。だからふだんの自分は、いわゆるデザイン思考的な方向性とは向きが逆なのである。浅田彰風にいうと、スキゾ的ではなくてパラノ的というか、そんな感じ。

とにかく、AIだのフィンテックだのとこれから世の中が目まぐるしく変わるというニュースに日々曝される中で、そういえばあんな本があったなあと思い出した。ちなみに自分は自己啓発本とかビジネス書にはまったく興味が湧かないダメな人間なので、この本を読んでゲットしたノウハウを使って具体的なタスクをこうソリューションしてやろうとかそういう動機はない。ただなんとなくおもしろそうかなーなんて。

この本自体は初版が1987年と、もうかなり古い。趣味で読む本はもう電子しか買わないつもりだったが、久しぶりに紙の本を買った。デザイン思考とかにはあんまり関係なくて、問題発見、問題定義の着眼点とか発想法について書かれたもの。

学校ではあらかじめ提示された問題の解き方をひたすら教わるのだけれど、実際の社会生活では、問題は発見したり、見極めたりする方がずっと難しい。問題が分かってしまえば、解くのはわりと簡単。本書はそういうふうに説いている。

全体的にユーモアたっぷりなのだけれど、つかみどころがいまひとつはっきりしていなくてわかりにくかった。古さもあるのかな。いや頭が悪いからか。ああ。。

何度も読み返すとじわじわと味がじみ出てくるのかもしれない。そんな根性ないけど^^; ただ、ポイントについては箴言のような短いまとめがでてくるのは助かったから、ついでに備忘として書き留めておく。

第1部 何が問題か?

  • 問題とは、望まれた事柄と認識された事柄の間の相違である。
  • ユーモアのセンスのない人のために問題を解こうとするな。

第2部 問題は何なのか?

  • 彼らの解決方法を問題の定義と取り違えるな。
  • 彼らの問題をやすやすと解いてやると彼らは本当の問題を解いてもらったとは決して信じない。
  • 解法を問題の定義と取り違えるな。ことにその解法が自分の解法であるときには注意。
  • 問題の正しい定義が得られたかどうかは決してわからない、問題が解けたあとでも。
  • 結論に飛びついてはいけないが、自分の第一印象は無視するな。
  • 正しい問題定義が得られたという確信は決して得られない。だがその確信を得ようとする-努力は、決してやめてはいけない。

第3部 問題は本当のところ何か?

  • すべての回答は次の問題の出所。
  • 問題によっては、それを認識するところが一番難しいということもある。
  • キミの問題理解をおじゃんにする原因を三つ考えられないうちは、キミはまだ問題を把握していない。
  • キミの問題定義を外国人や盲人や子供に試してみよう。またキミ自身が外国人や盲人や子供になってみよう。
  • 新しい視点は必ず新しい不適合を作り出す。
  • 問題定義のうんざりするような道筋をさまよっているときは、ときどき立ち止まって、迷子になっていないか確認しよう。
  • 問題が言葉の形になったら、それがみんなの頭に入るまで言葉をもて遊んでみよう。

第4部 それは誰の問題か?

  • 他人が自分の問題を自分で完全に解けるときに、それを解いてやろうとするな。
  • もしそれが彼らの問題なら、それを彼らの問題にしてしまえ。
  • もしある人物が問題に関係があって、しかもその問題を抱えていないなら、何かをやってそれをその人物の問題にしてしまおう。
  • 変化のために自分を責めてみよう、たとえほんの一瞬でも。
  • もし人々の頭の中のライトがついているなら、ちょっと思い出させてやる方がごちゃごちゃいうより有効なのだ。

第5部 それはどこからきたか?

  • 問題の出所はしばしばわれわれ自身の中になる。

第6部 われわれは本当にそれを解きたいか?

  • ちょっと見たところと違って人々は、くれといったものを出してやるまでは何がほしかったか知らぬものである。
  • あとから調べてみれば、本当に問題を解いてほしかった人はそんなにいないものだ。
  • ちゃんとやるひまはないもの、もう一度やるひまはいくらでもあるもの。
  • 本当にほしいか考えるひまはないもの、後悔するひまはいくらでもあるもの。

さて、この本の内容を我が物として生かせるかどうかは正直自信がないけれど、問題の見極めが容易ではないことや重要なことだけはなんとなくわかった。今回書きだしたポイントの部分だけはあと何回かお経のように読み返してみよう。
まあ、それなりに楽しめたところもあったからよしとしようっと。

自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実

読書感想文です。

自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実 (ブルーバックス)

自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実 (ブルーバックス)

他所の書評をみると原書からいろいろと削られているらしい(それでも長いけど)。しかも誤訳が多いとか。たしかに何度読み返しても意味がよくわからない文章がいくつかあった。本のタイトルもなんだかしっくりこない。それでもけっこう読みごたえがあったのは原書の持つパワーなのかもしれない。

原書は2015年に米国で出版。タイトルは“NeuroTribes”、直訳的には「神経学的部族」とかそんな感じの造語。サブタイは“The legacy of autism and how to think smarter about people who think differently”。 いわゆる「Neurodiversity」(ニューロダイバーシティ、本書の日本語版では「脳多様性」と訳されている)の価値について歴史的な背景から浮き彫りにするというのが本書の趣旨。

2015年のサミュエル・ジョンソン賞ほか多数の賞を受賞。ニューヨークタイムズエコノミスト、フィナンシャルタイムズ、ガーディアンの各誌における2015年ベストブックリスト入り、と英語版のウィキペディアに書いてある。

本書(日本語版)の中身は、自閉症史上の有名人が次々と登場し、スティグマ、偏見と紆余曲折の繰り返しから当事者が意見を発信するようになった現在までの歴史が詳述されている。ここまで詳細に書かれた本は、自分は初めて読んだ。以下は主要な登場人物についてご紹介する。

ハンス・アスペルガー
ウィーンの小児科医。ナチス統制下、優生学の名のもとに障害児の抹殺が正義とされる世の中で、自閉症の多様性や連続性を見抜き、社会的な存在価値に早くから気づいていた人物として描かれている。しかし、ドイツ語で書かれた論文はその後の英語中心の世界で長い間埋没してしまう。

・レオ・カナー
米国の精神科医。一般に自閉症の最初の報告者として歴史に名を刻んでいる人物だが、本書では出世欲が強く権威主義的な人物として描かれる。アスペルガーの業績を意図的に無視し、自らの発見を世にアピールするとともに当時主流のフロイト主義になびいて自閉症は母親の養育態度に原因があるという毒親説を主張。

・ブルーノ・ベッテルハイム
自閉症史の中でもおそらく一番評判が悪い米国の心理学者(フロイト主義の精神分析家)のベッテルハイム。本書ではカナーにうまくフォローしただけの小者として扱われている。

・バーナード・リムランド
米国の心理学者。自閉症者の父親毒親説を否定し、自閉症の原因が生物学的なものであると突き止めることに貢献した人物。親たちの悩み相談への対応をきっかけに自閉症協会を立ち上げる。しかし、自閉症と闘うこと、自閉症を治癒させることにこだわるあまり、次第にメガビタミン療法などの非科学的な治療法(インチキ療法)の開発にはまり込み、医学の主流からは離れていく。ワクチン原因説にも傾倒し、その対策としてキレート療法など危険な治療法を喧伝。親たちを混乱に陥れる。

・イヴァ・ロヴァス
米国の心理学者。行動療法家。応用行動分析(ABA)を用いた幼児期における徹底的な訓練(ロヴァス法、早期集中介入)により自閉症が大きく改善する主張。一定の成果を上げており一般には評価する見方もある。本書では嫌悪療法(体罰)に手を染め、虐待的な手法を正当化するようになっていく姿が描かれている。

・ローナ・ウィング
英国の精神科医自閉症者の母親。自閉症の多様性・連続性に気づき、埋没していたハンス・アスペルガーの業績を再評価するとともに自閉症スペクトラム自閉スペクトラム症)の概念を提唱。自閉症の診断基準の改訂(広汎性発達障害の概念の確立)にも尽力する。しかし、この改訂に伴って自閉症と診断される子どもが増大した結果、社会は混乱しワクチン原因説と結びつけられる要因にもなってしまう。

オリバー・サックス
英国出身で主に米国で活躍した神経学者。ベストセラーになった著書「火星の人類学者」で自閉症当事者のテンプル・グランディンを世に紹介する。本書の序文を寄稿している。

・テンプル・グランディン
自閉症当事者。動物学博士で畜産施設の設計者として自立。自伝「我、自閉症に生まれて」を発表し、それまで知られていなかった自閉症者の心情や考えが初めて明らかにされる。

・ジム・シンクレア
自閉症当事者。自閉症の増大に対する社会的懸念や、支援を求めるために自閉症の悲惨さ、無惨さを世にアピールする親たちの団体に対して、「われわれの存在を嘆くな」(Don’t Mourn For Us)を発表。自閉症当事者が自らの存在を肯定的に捉え、自らの権利を主張する素地が作られていく。

日本語訳がこちらにありました。
http://omotegumi.exblog.jp/9818820/

・アリ・ネーマン
自閉症当事者。政治オタク。米国において自閉症の原因説や治療法の研究に莫大な資金が投じられている一方で、自閉症者の生活に対するサービスが不足しているとして、「Nothing About Us Without Us」(私たちのことを私たち抜きで決めないで)をスローガンに当事者団体ASAN(Autistic Self Advocacy Network)を組織。


<雑感>

  • 全体を通じて感じたことは、みなさん自分の理屈・自分の正義だけで徹底的にやり過ぎだなあと思った。ベッテルハイムにしてもリムランドにしてもロヴァスにしてもバランス感覚がなく、物量でボコボコにやる、ジャンジャンやる。アメリカンだからなんだろうか。日本だったらもうちょいゆるくて周りの空気を読むのではないか思う。お互い長所も短所もあるんだろうけど。
  • ただ、本書は自閉症の特殊な才能や社会的な意義についてアピールしすぎているような感じはした。障害の有無に関わらず、社会的な存在価値なんて客観的に計れるものではなく各々自分で勝手に考えればいい話である。つまり余計なお世話だ。そうでないと結局は「役に立つ人間は生きる価値があるけど、その反対は?」という優生学と同じ価値観の世界に陥ることにつながりかねないのではないか。