Les Rêveries du promeneur solitaire

誘惑される意志 人はなぜ自滅的行動をするのか

誘惑される意志 人はなぜ自滅的行動をするのか

誘惑される意志 人はなぜ自滅的行動をするのか

行動経済学で有名な双曲割引について詳しく知りたくて選んだ本です。

ヒトはなぜ、ドラッグや酒やタバコ、ギャンブル、不倫、強情、問題の先送りといった、明らかに自分にとって有害だとわかっていること、後悔するとわかっている行動をとってしまうのか。
ソクラテスアリストテレスフロイトフランシス・ベーコン、ヒューム、サミュエルソン、・・・といった様々な分野の人たち(心の哲学精神分析行動経済学知覚心理学ゲーム理論、カオス理論、神経生理学、神学、…)も、自滅的な行動について研究をしているが、残念ながら、この問題を適切に解明できてはいない。本書では、心理学者である著者が、経済学的な思考のなかでももっとも微視的な応用(ミクロミクロ経済学、あるいはピコ経済学)から、人間の将来予測と価値付けに結び付けて、効用主義にかわる新しい価値の考え方(双曲割引曲線)を生物学的な見地から提示する。

この宣伝文句を考えた人は中身をしっかり読むことができたのだろうか。

目先のことに反応してしまう「双曲割引」

伝統的な経済学は、人は自己の利益に対して常に合理的に振舞うことを前提条件として論理展開がなされている。意思決定においても、報酬を獲得するタイミングが異なる複数の選択肢がある場面で、それぞれの報酬を「指数割引」によって現在価値に換算したうえで最も大きいものを選ぶという合理的な手続きを行うことになっている(詳しくは金融理論の入門書とか読んでみてください)。

そんなこと本当に実際の人間が日常場面でやっているのか。そんなわけないじゃん。人は目先の誘惑に簡単に負けて、相反する行動を選択する。

常々、ダイエットして痩せたいと思っていても高エネルギー密度の物体が目前にちらつけば、ついつい体内に取り込んでしまう。酒・タバコ・その他薬物を止めたくても、なかなか難しい。家族が大切なのに不倫したりする。ほかにもギャンブル依存に多重債務。そんなものだ。

「欲望の赴くままに行動すること=自分に対して正直」という考え方もあるけれど、少なくともこの場合はたぶん違う。自分が本当に優先したいこととは相反する行為なのだから。葛藤の末に誘惑に負けたからといって、本心はそっちというわけではないだろう。

ではなぜ、本当にやりたい長期の大きい見返りよりも短期の小さい誘惑の方を優先してしまうのか。このありふれた現象は伝統的な指数割引では説明できない。それを説明しようとするのが双曲割引。

報酬の大きさに対する人の感じ方には時空間に対して(特に時間:タイミングに対して)強い遠近法がかかっている。小さな報酬でも目前にせまれば急に大きく感じてしまう。客観的に見れば将来にもっとずっと大きな報酬が待っているとしても目先の小さな報酬の方が大きく感じる。だから後先のことよりも目先のエサに食いついてしまう。

合理的な指数割引の場合でも将来の報酬を割り引くけれども、割り引き方が線形で、このような優先順位の妙な入れ替わりは起こらない。双曲割引の場合は報酬を獲得できるタイミングが近いほど割引率が極端に高くなっていて、遠い時点の割引率は低い。だから報酬が遠いうちは近づいてきても少しずつしか大きくならない(ほとんど変わらない)けれども、間近に迫った瞬間、突如巨大化する。

この双曲割引のために人間らしく迷って人間らしく後悔する。そしてそれを飽きもせず繰り返し反復する。合理性には程遠い。

「そんなの当たり前だろ」と言われそうだけれど、まあ、基本形はそんなものである。ちなみにこの現象はヒトのみならず、たとえばハトにも見られるという。

誘惑に対抗するための「意志」

けれどもいつも誘惑に負けるわけではない。誘惑に流されないために備わった心理機能が「意志」。意志による誘惑への対抗策にはいくつかある。

①物理的遮断

君子危うきに近寄らず方式。近くに寄ると巨大化して恐いなら寄せ付けなければいいじゃないという単純で当然の方法。わりとありがち。

②社会的追込み

禁煙宣言などの周囲にコミットするとか、同じ目的を持ったグループに所属するとか。こちらもありがち。

③長期的な報酬をグルーピングしてより大きく見せる方法

優先したい利益、たとえば「来月のレースで目標を達成ために」などではなく、もっと長期的な目標の達成なども含めて合計して大きく捉える方法。捉え方次第で報酬の見え方は変化するから自分に対してアピールできることを考える。

利益調整機能としての「意志」

「自由意思は存在するのか」という問いは長年の課題で、特にここ数十年の間、近代に対する反省や批判の意味も込めて重要なテーマになっている。

著者は意志の存在を明言しつつ、けれどもそれは、ただ単に決める、選ぶという機能を指しているのではない。心の中でひしめき、うごめく多数の誘惑や報酬のエージェントたち(どれも自分の一部)をどうまとめるのか、それぞれのエージェントたちが争ったり協力したりする中で、それらを調整する政治的な機能を想定している。迷い葛藤し、そのせいで意志は予測不可能な動き、つまり自由な動きをする。

ストイックな強い意志力

意志力は、内的な規範や計画に一貫性をもって従おうとする気持ちを基礎としている。内規や計画を実際に遵守できれば、それが自信につながって、さらに強い意志力になるという再帰性を有する。だから逆にルールや計画を守れなかった場合には、そのことが次の失敗の原因になりかねない。自分でダメだと思ったらそれが自己成就予言になって本当に負ける。

このように意志が原理原則を貫き通そうとする一方で、誘惑は巧みに例外措置の適用を求めてくる。「今回だけは特別でしょ?」「少しだけならたいしたことないよ」「明日からがんばろう」。短期の欲望を優先する口実は、頑張らなくても無意識のうちにいくらでも考えついてしまう。俗にいう「悪魔のささやき」。悪魔くんは賢くて手口も巧妙だ。

ストイックな意志さんは「例外は一切認めません!」と杓子定規に悪魔くんを突っぱねる。ルールが複雑だと悪魔くんへの対処が面倒になるから、意志さんはシンプルで明確に白黒つけやすいルールに従いたがる。

意志の副作用

けれども硬直化しすぎれば環境変化に柔軟に対応できなくなるなどの副作用をもたらす。意志さんは真面目すぎるし神経質だから「いろんなものをバランスよくほどほどに」なんて難題なのだ。そういうのは肩肘張らずに自然に(テキトーに)やる方がうまくいく。

それに意志さんが持ち前の合理性でどんどん無駄を省いていくと、結局、満足感が減ってしまうというパラドクスに陥ることに。ある程度無駄がないと楽しめないし、物足りない。長い間頑張ってきてやっと実現したのに、なんだかぜんぜん期待したようなものじゃなかった・・・なんてことに。

実のところ意志さんの目的は長期的な報酬の獲得ではないのだ。意志さんの真の目的は、あらかじめ設定したルールや計画を守ることにある。意志さんはそういう役割だ。要するにストイックさとはそんなふうな感じのものだ。
このように意志さんの手によって手段は目的化され、そんな場合、「悪魔のささやき」は「天使のささやき」に変わる。

本書は、ヒトが意志を獲得したのは、双曲割引という遺伝的プログラミングの目先の誘惑に対する脆弱性に対抗するためだったという進化心理学的な仮説を唱えている。

その意志も短期的な誘惑への対処という面では効果的であっても、それがそのまま長期的な報酬の実現につながるわけではない。意志も完璧には程遠い。

現代社会が次第に合理化・効率化されていく一方で、逆に人は怪しいものに魅力を感じてはまっていく。

将来、AIが意志を持つようになるのではないかとも言われているけれど、もしも仮に将来、人がもっと進化して双曲割引を克服し、葛藤も優柔不断も後悔もしなくなったとしたら、その時は意志も役目を終えて消えてなくなるのかもしれない。でもそれもなんだかつまんないよね。

エピログ(悪魔の言い訳)

山形浩生の翻訳だし、これなら大丈夫だろう」と選んだ本。ところがとんでもなく面倒臭い本だった。正直、ちゃんと解読できている自信がない^^; 

三分の一くらいまで頑張って読んだものの、それ以上読み進めるのが辛くなって自分の読解力不足を嘆いていたら、アマゾンの書評の中に「訳者解説から読め」といった具合のコメントを見つけたので、全部すっ飛ばして巻末を見ると、「著者にデネットドーキンス並みの文章力があったら、とっくにカルト古典になっていたはず」と翻訳者が嘆いて(?)いた。

「おい、金返せ!」と一瞬思ったが、とにかく「すさまじい本である」と山形浩生行動経済学とかそんなせこい世界にとどまらず、双曲割引で人間の意志の根源とか、文明論まで語ってしまうのだ、という。

とはいえ、ある程度、実証的なエビデンスがあるのは双曲割引の基本的な部分で、それ以外は壮大なストーリーとして楽しむのがよいと思われる。楽しめればの話だけど^^;

そういうわけで気を取り直して全部読みはしたけれど、難しいものは難しいから、結局のところ自分の理解は翻訳者の解説にかなり依存せざるをえなくなった。

だって他にも読みたい本はあるし、本を読める時間だって限られてる。じっくり解読してる余裕なんてないんですよ。

と脳内の悪魔が言い訳しているような状況^^;

我こそはという勇者は、是非挑戦してみてくださーい。