Les Rêveries du promeneur solitaire

分散の素晴らしさ

合理性の素晴らしさの度合いは、その主張そのものがどの程度理路整然としているのか、というだけでは十分ではないだろう。その主張に対する合理的な疑いをどの程度排除できるのかというのも重要な要素だろう。

Don't put all your eggs in one basket.一つのカゴに全てのタマゴを盛るな。

資産は複数の異なる種類に分散して持つのが吉というのは古くからの知恵とされているようだ。現在はもう少し理論的に煮詰められて、値動きの異なる複数の資産を持つと、期待リターンはそれぞれを加重平均した値になるのに対して、リスク(リターンの標準偏差で表される)はそれぞれを加重平均した値よりも小さくなることが分かっている。つまり、複数の資産をうまく組み合わせることでリスク対比の期待リターンを向上させることができるというもの。

次に食品の安全性・リスクについて考えてみよう。「バランスよくいろいろなものを食べなさい」という訓示は、栄養を過不足なく摂取するという意味の他にリスクを分散するという意味もある。都合のいいことに多くの毒には閾値があるとされる。というか、すべてのものは量次第で毒になりうるが、例外的なものを除いて、たいていのものは量が少なければリスクがなくなると考えられている。

毒になるかは量次第というのは極端な例では、水でさえ5リットル一気飲みすれば低ナトリウム血症で死ぬ人も出てくるようだ*1。最近で醤油を360ml程度一気飲みして高ナトリウム血症で死にかけた人がいる*2

長期的に食べ続けた場合の食品の慢性毒性についてはよく分かっていないものが多い。残留農薬とか食品添加物とかではない。これらは主に動物実験で一生食べ続けても影響がない量が推定され、さらにそれに相当の安全係数(典型的には1/100)が乗じられて基準が決められている。食品メーカーは基準を超えると(たとえ健康上の問題はなくても)大騒ぎになるので、基準を超えることのないようにさらにマージンを見て運用する。

分かっていないものの多くは天然のもの。そもそも何が含まれているのかすらよく分かっていない。これらは人が昔から食べてきたことを理由に安心なものと思われているが、人は歴史の殆どの期間、直ちに影響がないものを食べられる時に食べてきたにすぎない。そして天然のものをすべて調べ尽くすなどというのは、ちょっと無謀な話で現実的ではない。だったら分散するしかない、というわけだ。

あらかじめ想定できるリスクは、他の方法でも小さくするように努力することができる。一方、分散が素晴らしいのは想定外の未知のリスクも小さくすると期待できることにある。

生物の進化(退化も含めて)は、遺伝と偶然起きる遺伝子のコピーミス(変異)によって多様に枝分かれ(分散)し、苛酷な生存競争において一部が滅び、一部が生き残る過程で起こる。これは淘汰圧に対するリスク分散と言えそうだ。将来どんなことが起こるのか?想定しきれないならば分散するのが吉である。

なぜ遺伝子のコピーミスが起きるのだろうか?それは知らない。しかし、もし万が一コピーミスが一切起こらない完璧な種が過去にあったとしても、ワイルドな自然環境の変化に適応できずに滅んでしまったのではないだろうか?

ところで、癌細胞も遺伝子のコピーミスによって生じる。ミスであればなんでも善であるとか、そういった単純な話にうまく持っていくことはできない。

*1:http://blackshadow.seesaa.net/article/26894160.html

*2:http://kaigyoi.blogspot.jp/2013/06/blog-post_125.html