Les Rêveries du promeneur solitaire

ルーティンの素晴らしさ

同じ行動の反復では創造的で革新的な何かを生み出すことはできない。たしかにそうかもしれない。ならばルーティンは不要だろうか?たとえば日常生活をひとつひとつ創造的に過ごすことを考えてみよう。歩行中、次の一歩はどのような革新的なステップを創造しようかとか、今回のトイレではどんな創造的なスタイルで用をたそうかなどといちいち考えていたら、重要なことのために創造性を発揮するリソースは一気に不足することになるのではないだろうか。残念ながらヒト(少なくとも自分)の情報処理のスペックは、ハードウェア(脳みそ)はそれほど高性能ではないかもしれないが、それを補ったりリソースを節約したりするためにソフトウェア(心理機能)がそこそこ発達している。ルーティンもその一つだ。

「習うよりも慣れろ」という言葉があるとおり、ルーティンによって「直感が磨かれる」、というべきどうろうか?少なくともオートマティックに少ない負荷で作動するようになる。自動車免許の教習所で初めてハンドルを握る人は、あらゆるリソースを投入して熱心に手足を動かしても、熟練ドライバーの無意識の動きにはまったく及ばない。たとえドライビング・テクニックの本を10冊熟読したとしても。動作を繰り返し反復しないと身につかない。身につくと考えなくても自然と直感的に動くようになる。だからといって熟練ドライバーが初心者ドライバーに比べて自動車の運転以外の分野でも直感が優れているとはいえないのだが。

それから、コツコツと努力を積み重ねること。これは地味ではあっても偉大なことだろう。この難題に取り組むにはルーティンが有効かもしれない。悪いクセを直すのは難しい。良いことも日常生活に組み込んで習慣化すれば続けやすい。はじめは大きな負荷を感じても、繰り返すうちに負荷が軽くなる。行動が条件付けされるとむしろやりすぎに気をつけなければならないケースも考えられる。

悪いクセが直しにくいのは、その行動にそれなりの「いいこと」(強化子)が伴っていると考えることができる(オペラント条件付けの行動随伴性)。だから悪いクセを直すにはただ単に止めるよりも、同質の強化子が随伴するより望ましい行動に置き換える方が有効だとされている(代替行動の分化強化)。望ましい行動を維持するのにもその行動に強化子を随伴させることを考えてみよう。たとえば条件付け日々の成果の記録を付けるとか同じ目的の仲間を作るとかそういった具合のものは効果が見込めるのだろう。