Les Rêveries du promeneur solitaire

Market Timer

念願(?)のパソコンを買いました。エネルギーとスペースを浪費するデスクトップなんて日本にはフィットしない、もう時代遅れ、とばかりに、薄型軽量で低スペックのウルトラブックなるものを衝動買いしてからまだ2年足らず。

省スペースで余裕ができるどころか、コンパクトさゆえの窮屈さになじめず、不自由さに我慢ならず、ボディが貧弱で子供に触らせることもできず、国内メーカーを選んだのにブランドごとファンドに売りに出され、要らないアプリが限られたメモリを浪費し・・・・と、そんな感じで重厚長大のデスクトップに出戻ってしまったという情けない次第です。スマホもスマートに使いこなせないのですが、もうあきらめ気味。足りないのは情熱。スマートなんていう見かけばかりの薄っぺらなファッションは大嫌いだ、なんて逆切れ。みっともない。

買い換えようと思ったのはもうずいぶん前のことでしたが、消費増税前の駆け込みとWindows XPのサポート切れという大きなイベントを控えていたので、ホトボリが冷めるまで待つことに。市場動向に目を光らせていたわけではないですが、需要が落ち着き始めたという新聞記事を見かけるようになり、そんな中で次のOS(Windows10)の発表があったので、今度は買い控える人かちが出てくるのではないかという想像も湧いてきて、自分なりに勝手に納得したつもりのタイミングです。

このタイミングでの購入の良し悪しは、後になってみないことには判りません。詳しい人だったら、もっと違う時機を勧めるのかもしれません。一方で、市場の需給のタイミングを見計らうことの見返りを得るのは、想像するより難しそうだなと思っています。

その理由は、自分が思いつくようなことなんて、往々にしてほかの人も思いつくものだから、というのが一つ。

タイミング勝負は、自分と同じ立場にある他のたくさんの買い手、それから、取引相手となるたくさんの売り手を時間差で出し抜こうともくろむ行為で、人よりスマートに振る舞って大勢の裏をかく必要がありますが、人並みの人間がそのつもりでやっても、実のところ、そうでもなかったりする、そんなもんだと思います。世の中うまい話がそう易々とそこいらに転がっていない。

もう一つの理由は、市場価格がある程度ランダムに動くと考えた場合、タイミング勝負は単なる運試しの要素が強くなり、努力や才能が報われにくくなってしまうのではないか、ということです。

いくら熟練した勝負師だろうとも、規則性のないデタラメな動きに対しては、予想する努力は無駄になってしまいます。

たとえば、サイコロ研究の第一人者でこの道一筋30年のサイコロ振り師(!)が、もっともらしいシナリオのストーリーを描いて次に出る目を予想したとしても、当てられる確率は、(そのサイコロがフェアなものなら)1/6であり、サルがやるのと同等です。ギャンブルならそれもまた一興ではありますが。。

チェスの達人は、(今のところ)スパコンにも勝てるらしいので、熟練した専門家の力を借りる価値は大いにあるのだろうと思います。専門家なら情報戦で多数派を出し抜くことができるかもしれません。ところが、ファンドマネージャーエコノミスト、政治評論家といった辺りの専門家の予想があまり当てにならないのは、予想の対象の動き方がそれなりにランダムだから、なのかも知れません。

タイミングを計る努力がすべて無駄、とまでは言わないまでも、凡人にはなかなか難しい所業です。「最高のタイミングだった」なんていうのは、後からほのぼの思うものです。「あらかじめ自分はそうなるような気がしていたんだ」なんていうのも、本気でそう感じたとしても、たいてい結果を見て後から付け加えられたものだったりするのです。残念ながら。

でも、タイミングで勝負しようという発想は、「自分には凡人よりうまく立ち回れるかもしれない」という、健康な凡人ならば通常に持っている人情がベースになっていると思われます。ドン・キホーテの如く、ランダムな動きに対して勘違いで何らかの規則性を見出し、勝手に因果ストーリーを創作して満足するのも人情であります。

結局は自分で納得できるやり方を選ぶというのが、後悔を減らすことにつながるんですかねえ。人は後悔を回避するためなら、多少損でも犠牲を受け入れます。実際にパソコンが安く買えたかどうかなんて二の次なんです。(汗)

もう二度と後悔はしたくないので現実から目を背けようとも積極的に納得しにいくつもり(大汗)。自分の選択は正しかったんだ!(滝汗)

本日のBGM


時をかける少女。時にかける中年男。

記事のタイトルの「マーケット・タイマー」というのは、アラームがなったりするわけではなく、金融市場等で投資する際にタイミングで勝負する人たちのことを指します。