Les Rêveries du promeneur solitaire

アイアンマン70.3のリザルトについて

先日、アイアンマン70.3セントレア知多半島ジャパンというトライアスロンの大会に出ました。距離はスイミング1.9km+サイクリング90.1km+ランニング21.1kmです。
アイアンマン70.3セントレア知多半島ジャパン

個人的な感想はさておいて、リザルトが公表されたので眺めてみたいと思います。

1.データについて

リザルトのデータは、こちらのサイトから1ページずつエクセルにコピペしました。30ページに分かれているので面倒でした。

完走者1,380人、DNF100人、DQ(失格)2人。完走率93.1%。
完走者のうち男性1,274人、女性106人。女性は10%未満です。トライアスロンは女性が少ないです。過酷なイメージのせいでしょうか。アイアンマンというネーミングも男の子向けだもんね。

年代別カテゴリでは、40代(40-44と45-49の合計)が約4割を占めています。前後の30代と50代を合わせると約9割になります。

<表1>完走者の年代別カテゴリごとの構成


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カテゴリ分けのベースとなる年齢は2018年12月末時点の予定です。私は40代最後のレースというつもりで申し込んだのに50歳にカウントされてしまいました。おかげでカテゴリ別の成績は良かったのですが、なんだかちょっと複雑な気分。

50代の参加者はピークの40代と比べると減少しますが、直近3年間のデータを見る限りでは増加傾向のようです(2016年20.3%→2018年24.7%)。データは省略しますが全体的に高齢化が進行しつつあるようにも見えます。あと何年頑張れるのかなあ。

2.年代別カテゴリごとの分布(男性)

まず、男性の記録の分布を年代別カテゴリに区分して概観してみたいと思います。
完走者の記録について、年代カテゴリ別・男女別に四分位数と四分位範囲を算出してみました。

  • 四分位数とは、記録を上から順に並べて25%ずつ区切った場合の区切り目の記録です。つまり、第1四分位数は上位25%に位置する記録、第2四分位数は50%、第3四分位数は75%です。
  • 第2四分位数は中央値に相当し、その集団を代表する数字です。中央値は平均値に比べて極端な値の影響を受けにくい特徴があります。
  • 四分位範囲は、第1四分位数と第3四分位数の開差です。上位25%と下位25%を除外した中間50%のデータが収まっている範囲で、その集団のバラツキの大きさを示します。
  • 以下の<表2>は、男性を対象としたものです。nは人数、Sはスイム、Cはサイクリング、Rがランニング。トランジションはSからCへのT1とCからRへのT2を合計で示しました。Q1~Q3は各四分位数、IQRは四分位範囲です。
<表2>年代別カテゴリごとの記録の分布(男性)


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IQRはすべてのカテゴリにおいてランニングが最も大きいです。次いでサイクリング。圧倒的に小さいのがスイミングです。これはスイミングでは時間差が開きにくく、逆にランニングでは開きやすいことを示しています。

年代カテゴリ分けはしていないのですが、男性の記録の分布をもう少し細かく区分してみたものが<表3>です。

<表3>記録の分布(男性)


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  • パーセンタイル(pt.)によって区分する方法で、先程の四分位数を細かくしたもの。各四分位数はそれぞれ25pt., 50pt.,75pt.に相当します。0pt.は最小値(1位)、100pt.は最大(最下位)です。
  • Meanは平均値です。各種目とも平均値と中央値(50pt.)にあまり大きな差は生じていませんでした。
  • σ(シグマ)は標準偏差です。IQRと同様にバラツキの大きさを示す指標です。やはりランニングの値が最も大きく、サイクリング、スイミングと続きます。

25pt.、50pt、75pt.のペースは上記の<表4>のとおりです。スイミングは100m当たり、サイクリングとランニングは1km当たりのスピードです。

<表4>種目別のペース(男性)


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サイクリングは距離や時間が最も長いのでそれなりに差が開きはしますが、1km当たりのスピードにはあまり大きな差がないようです。25pt.と75ptとの差はわずか17秒/km。時速で示すと3.8km/hの差(31.2-27.4)です。

しかしながら、空気抵抗はスピードの2乗で増大するので、31.2km/hと27.4km/hをパワーの出力値で示した場合には相当大きな開きになるのだろうと思います。スピードが上がってくるとパワーがなかなかスピードに表れにくくなるのです。そういう意味では実力の差が記録に表れにくい種目なのかもしれません。特にフラットなコースの場合。今回のコースは前半65kmまでフラットな周回、残り25キロはは比較的上り下りのあるコースでした。

距離・時間が圧倒的に長いサイクリングがランニングよりも差が開きにくいのは、ほかにも例えば「ランニングは最後の種目であり、なおかつサイクリングに続いて足を酷使するため、疲労の影響をより多く受けて持久力の差が記録に表れやすい」などといった理由があったりするのかもしれません。

また、<表4>のとおり、ランニングはペースのバラツキもとても大きいですが、前半に坂道が多かった影響もあるかもしれません。好天で気温も上昇して暑かったです。空の高いところからヒバリののどかな鳴き声が・・・。空を見上げてみようかな。でもそうしたら止まってしまう。ああ、なんでこんなことしているのかなあ。。後半は後半で平地でしたが階段や歩道橋もあってとっても楽しめました^^;

なお、スイミングの水の抵抗もスピードの2乗で増大します。ただ、スイミングの場合はペースの開きは大きいです。記録の差があまり開かないのは距離・時間が短いため。
個人的な印象ですが、トライアスロンのスイミングの場合はフィジカルよりもスキルの差が大きく、泳ぎが得意な人とそうでない人のギャップがより大きいように思います。
私の場合には海での泳ぎに慣れていないこともあり、もともと速くもないプールでのペースよりさらに遅くなってしまいます。

4.男女比較

年代別カテゴリごとの分布について、男女の記録の差(女性の記録-男性の記録)を示したものが下記の<表5>です。女性は年代カテゴリによっては人数が少なすぎるため、比較対象はまとまった人数のいる35歳から54歳を対象としました。ただし、合計の対象にはすべての年代が含まれています。

<表5>年代別カテゴリごとの男女差


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サイクリングで男女差が顕著になっています。一方、ランニングでは比較的差が小さい。先程みてきたとおり、男性のみではサイクリングの差はランニングよりも差が開きにくかったです。これは女性の間でも同様の傾向が見られます。それなのに男女比較ではサイクリングの差が最も顕著に表れるというのは興味深いです。

また、ランニングは男女差が比較的詰まっていて、30代後半や40代前半の中央値(Q2)の記録は女性の方が優れています。こちらも興味深い結果になりました。

個人的にスイムは女性の方が得意な印象がありましたが、今回の記録を見る限りそうでもないようです。女性の方がペース配分に慎重で、ランまで力を温存するということなのでしょうか?うーん、わかりません。

なお、女性の年代別カテゴリごとの記録の分布は次の<表6>のとおりです。Pro.と65-69の値がエラーとなっているのは、対象者がいないためです。

<表6>年代別カテゴリごとの記録の分布(女性)


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5.種目間の相関(男性)

最後に男性の記録を対象に各種目の相関を示したいと思います。
各種目の順位とトータルの順位について、相関係数マトリックスを次の<表7>で示しました。

相関係数は、-1~1の間の値をとります。平たくいうと、プラスは正の相関(同じ方向に動く傾向)、マイナスは負の相関(逆方向に動く傾向)、ゼロは無相関(バラバラ)を示します。

<表7>種目間の相関係数マトリックス(男性)


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各種目間の相関係数は、いずれも高めの水準の正の相関でした。たとえばスイミングでは、対サイクリング0.595、対ランニング0.507、対トータルで0.680です。

ただ、ひとつひとつの記録を散布図で示すとある疑いが浮かび上がってきました。

<図1>スイミング順位と各種目順位&トータル順位の散布図(男性)


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正の相関が高い場合、散布図は右肩上がりの直線に近い形状になります。負の相関では右肩下がりです。相関係数が1や-1の場合、散布図には完全な直線が描かれます。相関が低いとバラバラの形になります。

<図1>はいずれも右肩上がりの直線に近い形状にはなっているのですが、これは主に左下と右下につぶつぶが集中していることが大きい要因のように見えます。

このことは、スイミングの順位が極端に高い人は他でも極端に高い順位であり、逆にスイミングの順位が極端に低い人は他でもそういう傾向があるということを意味します。たとえて言うなら、プロ級とビギナーを同じ土俵で比較しているために起こっていることのようです。スイミンズ関係以外の散布図にも同様の現象が起こっていました。

ここでは各種目間の相関をみてみたいので、他の条件はなるべく均等にしたいところ。したがって極端な人たちをばっさり切り取って、トータル順位が上位25%から75%までの中間層50%の人たち、すなわち319位から956位の638人を対象に相関係数を出し直してみたのが、<表8>です。

<表8>種目間の相関係数マトリックス(男性のトータル順位上位25%~75%)


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  1. 各種目間の相関はいずれも低い。
  2. スイミングはトータル順位と相関が低め。
  3. サイクリングはトータル順位と相関が高め。
  4. ランニングはトータル順位と相関が最も高い。
  5. トランジションとトータル順位との相関も侮れない。

尤もトランジションは短時間で差が開きにくいので、いくら頑張っても順位への貢献度は限定されそうです。相関関係と因果関係は異なります。着替えの練習にばかり励んでも、成績はそう単純に上がらないと思われます。

ではなぜ、そこそこの相関がでているのかというと、トランジションの手際の良さは、経験や巧拙、疲労の度合い、肉体的・精神的な余裕など、背景にあるトータル順位に影響するような要素を間接的に反映しているのかもしれません。ええ、私はトランジションの順位が全種目の中で一番悪かったですよ。悪かったですねっ!

ここまでの結果から、ランニングは記録のバラツキが大きく、トータル順位との相関が比較的高いことが分かりました。この傾向は他のトライアスロンの大会でもよく見られるのではないでしょうか。

では、トータルの成績を上げるにはランニングの練習に重点をおけばいいのでしょうか?そこまで単純にいえるのかどうか、私にはわかりません。すいません。

最後に参考として散布図(トランジション以外)を示しておきます。

<図2>各種目順位&トータル順位の散布図(男性トータル順位319位から956位)


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おわり

ライト、ついてますか-問題発見の人間学

ライト、ついてますか―問題発見の人間学

ライト、ついてますか―問題発見の人間学

今まで知らなかったけれど、ジェラルド・ワインバーグという人はプログラマーの業界ではけっこうな有名人のようで、たくさん本を出しているし、たとえばウィキペディアにも載っている。

ただ、この本の存在を知ったのは、けっこう昔で、たぶん15年くらい前だ。ある個人のホームページで紹介されていた。いまはもうそのホームページは見当たらない。

最近、たまたま創造的な思考法だの、デザイン思考だのについて考える機会があった。自分はユニークな事柄が好きな方だとは思ってはいるものの、仕事はわりと分析的なものが多いし、プライベートでもクリティカルシンキング関連も本を好んで読んでいる。だからふだんの自分は、いわゆるデザイン思考的な方向性とは向きが逆なのである。浅田彰風にいうと、スキゾ的ではなくてパラノ的というか、そんな感じ。

とにかく、AIだのフィンテックだのとこれから世の中が目まぐるしく変わるというニュースに日々曝される中で、そういえばあんな本があったなあと思い出した。ちなみに自分は自己啓発本とかビジネス書にはまったく興味が湧かないダメな人間なので、この本を読んでゲットしたノウハウを使って具体的なタスクをこうソリューションしてやろうとかそういう動機はない。ただなんとなくおもしろそうかなーなんて。

この本自体は初版が1987年と、もうかなり古い。趣味で読む本はもう電子しか買わないつもりだったが、久しぶりに紙の本を買った。デザイン思考とかにはあんまり関係なくて、問題発見、問題定義の着眼点とか発想法について書かれたもの。

学校ではあらかじめ提示された問題の解き方をひたすら教わるのだけれど、実際の社会生活では、問題は発見したり、見極めたりする方がずっと難しい。問題が分かってしまえば、解くのはわりと簡単。本書はそういうふうに説いている。

全体的にユーモアたっぷりなのだけれど、つかみどころがいまひとつはっきりしていなくてわかりにくかった。古さもあるのかな。いや頭が悪いからか。ああ。。

何度も読み返すとじわじわと味がじみ出てくるのかもしれない。そんな根性ないけど^^; ただ、ポイントについては箴言のような短いまとめがでてくるのは助かったから、ついでに備忘として書き留めておく。

第1部 何が問題か?

  • 問題とは、望まれた事柄と認識された事柄の間の相違である。
  • ユーモアのセンスのない人のために問題を解こうとするな。

第2部 問題は何なのか?

  • 彼らの解決方法を問題の定義と取り違えるな。
  • 彼らの問題をやすやすと解いてやると彼らは本当の問題を解いてもらったとは決して信じない。
  • 解法を問題の定義と取り違えるな。ことにその解法が自分の解法であるときには注意。
  • 問題の正しい定義が得られたかどうかは決してわからない、問題が解けたあとでも。
  • 結論に飛びついてはいけないが、自分の第一印象は無視するな。
  • 正しい問題定義が得られたという確信は決して得られない。だがその確信を得ようとする-努力は、決してやめてはいけない。

第3部 問題は本当のところ何か?

  • すべての回答は次の問題の出所。
  • 問題によっては、それを認識するところが一番難しいということもある。
  • キミの問題理解をおじゃんにする原因を三つ考えられないうちは、キミはまだ問題を把握していない。
  • キミの問題定義を外国人や盲人や子供に試してみよう。またキミ自身が外国人や盲人や子供になってみよう。
  • 新しい視点は必ず新しい不適合を作り出す。
  • 問題定義のうんざりするような道筋をさまよっているときは、ときどき立ち止まって、迷子になっていないか確認しよう。
  • 問題が言葉の形になったら、それがみんなの頭に入るまで言葉をもて遊んでみよう。

第4部 それは誰の問題か?

  • 他人が自分の問題を自分で完全に解けるときに、それを解いてやろうとするな。
  • もしそれが彼らの問題なら、それを彼らの問題にしてしまえ。
  • もしある人物が問題に関係があって、しかもその問題を抱えていないなら、何かをやってそれをその人物の問題にしてしまおう。
  • 変化のために自分を責めてみよう、たとえほんの一瞬でも。
  • もし人々の頭の中のライトがついているなら、ちょっと思い出させてやる方がごちゃごちゃいうより有効なのだ。

第5部 それはどこからきたか?

  • 問題の出所はしばしばわれわれ自身の中になる。

第6部 われわれは本当にそれを解きたいか?

  • ちょっと見たところと違って人々は、くれといったものを出してやるまでは何がほしかったか知らぬものである。
  • あとから調べてみれば、本当に問題を解いてほしかった人はそんなにいないものだ。
  • ちゃんとやるひまはないもの、もう一度やるひまはいくらでもあるもの。
  • 本当にほしいか考えるひまはないもの、後悔するひまはいくらでもあるもの。

さて、この本の内容を我が物として生かせるかどうかは正直自信がないけれど、問題の見極めが容易ではないことや重要なことだけはなんとなくわかった。今回書きだしたポイントの部分だけはあと何回かお経のように読み返してみよう。
まあ、それなりに楽しめたところもあったからよしとしようっと。

自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実

読書感想文です。

自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実 (ブルーバックス)

自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実 (ブルーバックス)

他所の書評をみると原書からいろいろと削られているらしい(それでも長いけど)。しかも誤訳が多いとか。たしかに何度読み返しても意味がよくわからない文章がいくつかあった。本のタイトルもなんだかしっくりこない。それでもけっこう読みごたえがあったのは原書の持つパワーなのかもしれない。

原書は2015年に米国で出版。タイトルは“NeuroTribes”、直訳的には「神経学的部族」とかそんな感じの造語。サブタイは“The legacy of autism and how to think smarter about people who think differently”。 いわゆる「Neurodiversity」(ニューロダイバーシティ、本書の日本語版では「脳多様性」と訳されている)の価値について歴史的な背景から浮き彫りにするというのが本書の趣旨。

2015年のサミュエル・ジョンソン賞ほか多数の賞を受賞。ニューヨークタイムズエコノミスト、フィナンシャルタイムズ、ガーディアンの各誌における2015年ベストブックリスト入り、と英語版のウィキペディアに書いてある。

本書(日本語版)の中身は、自閉症史上の有名人が次々と登場し、スティグマ、偏見と紆余曲折の繰り返しから当事者が意見を発信するようになった現在までの歴史が詳述されている。ここまで詳細に書かれた本は、自分は初めて読んだ。以下は主要な登場人物についてご紹介する。

ハンス・アスペルガー
ウィーンの小児科医。ナチス統制下、優生学の名のもとに障害児の抹殺が正義とされる世の中で、自閉症の多様性や連続性を見抜き、社会的な存在価値に早くから気づいていた人物として描かれている。しかし、ドイツ語で書かれた論文はその後の英語中心の世界で長い間埋没してしまう。

・レオ・カナー
米国の精神科医。一般に自閉症の最初の報告者として歴史に名を刻んでいる人物だが、本書では出世欲が強く権威主義的な人物として描かれる。アスペルガーの業績を意図的に無視し、自らの発見を世にアピールするとともに当時主流のフロイト主義になびいて自閉症は母親の養育態度に原因があるという毒親説を主張。

・ブルーノ・ベッテルハイム
自閉症史の中でもおそらく一番評判が悪い米国の心理学者(フロイト主義の精神分析家)のベッテルハイム。本書ではカナーにうまくフォローしただけの小者として扱われている。

・バーナード・リムランド
米国の心理学者。自閉症者の父親毒親説を否定し、自閉症の原因が生物学的なものであると突き止めることに貢献した人物。親たちの悩み相談への対応をきっかけに自閉症協会を立ち上げる。しかし、自閉症と闘うこと、自閉症を治癒させることにこだわるあまり、次第にメガビタミン療法などの非科学的な治療法(インチキ療法)の開発にはまり込み、医学の主流からは離れていく。ワクチン原因説にも傾倒し、その対策としてキレート療法など危険な治療法を喧伝。親たちを混乱に陥れる。

・イヴァ・ロヴァス
米国の心理学者。行動療法家。応用行動分析(ABA)を用いた幼児期における徹底的な訓練(ロヴァス法、早期集中介入)により自閉症が大きく改善する主張。一定の成果を上げており一般には評価する見方もある。本書では嫌悪療法(体罰)に手を染め、虐待的な手法を正当化するようになっていく姿が描かれている。

・ローナ・ウィング
英国の精神科医自閉症者の母親。自閉症の多様性・連続性に気づき、埋没していたハンス・アスペルガーの業績を再評価するとともに自閉症スペクトラム自閉スペクトラム症)の概念を提唱。自閉症の診断基準の改訂(広汎性発達障害の概念の確立)にも尽力する。しかし、この改訂に伴って自閉症と診断される子どもが増大した結果、社会は混乱しワクチン原因説と結びつけられる要因にもなってしまう。

オリバー・サックス
英国出身で主に米国で活躍した神経学者。ベストセラーになった著書「火星の人類学者」で自閉症当事者のテンプル・グランディンを世に紹介する。本書の序文を寄稿している。

・テンプル・グランディン
自閉症当事者。動物学博士で畜産施設の設計者として自立。自伝「我、自閉症に生まれて」を発表し、それまで知られていなかった自閉症者の心情や考えが初めて明らかにされる。

・ジム・シンクレア
自閉症当事者。自閉症の増大に対する社会的懸念や、支援を求めるために自閉症の悲惨さ、無惨さを世にアピールする親たちの団体に対して、「われわれの存在を嘆くな」(Don’t Mourn For Us)を発表。自閉症当事者が自らの存在を肯定的に捉え、自らの権利を主張する素地が作られていく。

日本語訳がこちらにありました。
http://omotegumi.exblog.jp/9818820/

・アリ・ネーマン
自閉症当事者。政治オタク。米国において自閉症の原因説や治療法の研究に莫大な資金が投じられている一方で、自閉症者の生活に対するサービスが不足しているとして、「Nothing About Us Without Us」(私たちのことを私たち抜きで決めないで)をスローガンに当事者団体ASAN(Autistic Self Advocacy Network)を組織。


<雑感>

  • 全体を通じて感じたことは、みなさん自分の理屈・自分の正義だけで徹底的にやり過ぎだなあと思った。ベッテルハイムにしてもリムランドにしてもロヴァスにしてもバランス感覚がなく、物量でボコボコにやる、ジャンジャンやる。アメリカンだからなんだろうか。日本だったらもうちょいゆるくて周りの空気を読むのではないか思う。お互い長所も短所もあるんだろうけど。
  • ただ、本書は自閉症の特殊な才能や社会的な意義についてアピールしすぎているような感じはした。障害の有無に関わらず、社会的な存在価値なんて客観的に計れるものではなく各々自分で勝手に考えればいい話である。つまり余計なお世話だ。そうでないと結局は「役に立つ人間は生きる価値があるけど、その反対は?」という優生学と同じ価値観の世界に陥ることにつながりかねないのではないか。

ビデオスターの悲劇(エピタフのおまけのおまけ)

ビデオ(テレビ)がラジオスターを殺した。
今はSNSがビデオスターを殺す時代 (((( ;゚д゚))))アワワワワ……

そうだったのか!相次ぐロックスターの死はSNSのせいだったのか!(な、なんてだってー?!)

まじめな話、往年のロックスターが多く亡くなるのは、基本的にはロックスターが老いたから。その昔、テレビの普及に伴って有名人が爆発的に増えたのだそうだ。その増えた有名人が年を取って亡くなりやすくなった *1 。そしてスターの死の情報はSNSなどを通じてあっちゅう間に世界の隅々まで流通する。

ロックとテレビというと80年代のMTVやプロモーションビデオが代表的な印象があるけれど、それよりももっとずっと以前からテレビとロックの関係は深いように思う。テレビの普及とロックの市場拡大の時期はシンクロしている。直接的な関係があるかどうか自分には分からないけれど、少なくとも間接的には多少なりともお互い影響し合っているのではないだろうか。たぶん。*2

意図的にテレビに出ないロックスターもいたけれど、それもまた「テレビを拒絶するスター」というブランドというか、なんというか、「マーケティング」として機能した。ロックはテレビ世代の大衆音楽といえるのではないだろうか。

ロックの持つ「不良のイメージ」に反し、ロックの市場拡大は基本的に中流白人家庭の若者が牽引した。60年代になってボブ・ディランが俳句界における松尾芭蕉のように(?)、語呂合わせ中心だった歌詞を面倒臭くしたころから、中流家庭出身の大学生が単価の高いLPレコードを買いまくるようになった。ビートルズは多額の広告費を使ったメディア戦略で世界を制し、ロックは世代的にも階層的にも地域的にもより広い範囲に浸透していった。

今年、トランプさんを支持した中心は没落した中高年の白人男性なんて話もあるから、その人たちがロック世代で実は元ボブ・ディランのファンですとかだったら、なんともあれだなあと思うわけです。生活もかかってるからねえ、お互いに。そんな米国大統領選挙も今やツイッターフェイスブックが影響力を持つようになったらしい。

「SNSでアラブの春」なんつって浮かれているスキに、一気に混迷の時代が来たような気もする。SNSって群集心理を先鋭化させるのだろう。

中世ヨーロッパの宗教革命の背景には活版印刷の発明あったらしい。活版印刷で情報の蓄積や伝達のコストがぐっと下がったそうで、そしてその後、長い宗教戦争の混乱の中でたくさんの人が殺されたそうだ。

SNSが殺すのはいったい誰なんだろう?(年の瀬に物騒なこと言ってすみません。)
Confusion will be my epitaph.(グレッグ・レイクも死んじゃったねえ。)

本日のBGM



来年プログレバンドのイエスがロックの殿堂入りするそう。

「ラジオスターの悲劇」をヒットさせたバグルズのボーカルのトレバー・ホーンとキーボードのジェフ・ダウンズは1980年にイエスに加入した。けれどもその時のイエスはすでにシニタイで、アルバム1枚残して解散。上の動画はその時の鳴かず飛ばずのビデオ。イメチェン狙ってポップでストレートな曲ながら、心なしかなんとなく無理して明るく元気に振る舞っているようにも見えてしまう。

イエス解散後、ジェフ・ダウンズはギタリストのスティーブ・ハウに連れられてエイジアに参加。トレバー・ホーンはプロデューサーに転向して成功し、1983年のイエス再結成の際にはプロデューサーとして「ロンリーハート」をヒットさせた。

なお、来年殿堂入りするメンバーは、70年代前半のプログレ時代全盛期の時とロンリーハートの時にバンドのメンバーだった人のようで、このバグルズ組の2人は残念ながら選外となった模様。ビデオスターの悲劇。あわあわ。

*1:ロックスターは27才で死にやすいという俗説があるが実際はそうでもないらしい。

*2:ちなみに掃除機とか洗濯機の普及率ともシンクロしているかもだけれど、まあ、たぶんあまり関係ない。もしかして日本人の平均寿命とか平均身長の急激な伸びともシンクロしているかもしれない。「日本人はロックと聴くと健康になって長生きするんです」とか「ぐいぐい背が伸びちゃいます」とかだったら、それはそれですごく「クリエイティブ」で楽しいけれど、おそらくこれもないだろう。間接的に関係があるとすれば一般大衆の暮らしが豊かになったということが共通の背景にあるんじゃないだろうか。

エピタフ(おまけ)

おまけというよりこっちが本編かも。つってもたいしたことないんですがすいません。

エピタフは預言の歌、その関係でジョジョのエピタフは未来予知に関連する能力。だが、実際、未来予想は難しい。

「混乱」、それは僕の墓碑銘になるだろう。

リーマンショックから8年。2016年の米大統領選挙は大方の予想が覆される結果となった。英国のEU離脱国民投票で予想が外れた矢先の出来事。今年は大外れの年になった。大一番で予想が外れると多少なりとも「混乱」するのだ。

米大統領選挙の予想外しには、そこそこ有名な過去事例がある。

世界恐慌から7年。1936年の選挙はニューディール政策で再選を目指す民主党ルーズベルトと共和党ランドンの一騎打ちだった。

名門リテラリー・ダイジェスト誌は1000万人の電話所有者とこの雑誌の購読者を対象にアンケートを実施、200万の回答を得て、ランドン勝利と予想。

一方、ジョージ・ギャラップという人はルーズベルトの再選を予想。彼は前年に世論調査会社を起業したばかり。調査した人数はリテラリー・ダイジェスト誌をはるかに下回るものだった。

結果はルーズベルトの勝利。リテラリー・ダイジェスト誌の大規模調査は外れてしまった。なぜか?

当時電話はまだ普及しておらず高級品だった。だから調査対象者は金持ちばかり。金持ちにはもともと共和党支持者が多い。要するに調べた対象に偏りがあった。一方、はるかに小さい規模で答えを当てたギャラップはランダムに調査対象者を選んでいた。

このことは、たとえ大規模な調査でもサンプルに偏りがあればダメなこと、つまりサンプリングの重要性、それからランダムサンプリングの有効性が示された事例とされている。

現在では世論調査の方法はより洗練され高度化している。しかも皮肉なことにリテラリー・ダイジェスト誌が失敗した電話調査が一般的な方法になった。

今回の予想が外れた原因はすでにいろいろ言われているみたいだけれど、携帯電話の普及によって固定電話を持たない人が増えていることもその一つである可能性があるみたい。


www.nature.com

まぁ、詳細はこれから分析されることになるのだろう。

本日の本


統計でウソをつく法―数式を使わない統計学入門 (ブルーバックス)

統計でウソをつく法―数式を使わない統計学入門 (ブルーバックス)

統計入門の古典的なんとか。騙されないために騙す方法を知れと。1936年の米大統領選挙についても紹介されている。


「世の中に蔓延している「社会調査」の過半数はゴミである」。社会調査の各種バイアスについて紹介されている。本当にいろいろなバイアスが入り込む余地がある。


余談だが、この本の著者はギャンブルが趣味で以下の著作があって、これもけっこうおもしろい。

ツキの法則―「賭け方」と「勝敗」の科学 (PHP新書)

ツキの法則―「賭け方」と「勝敗」の科学 (PHP新書)


ちなみに以前こちらで紹介した本の著者も今回クリントン予想だったらしい。
sillyreed.hatenablog.com

エピタフ

本日はトランプ師匠の大統領当選記念の特別エントリ。


運命の鉄門の狭間に時の種子が蒔かれ、
知のあるものや名のある者の行為が水を撒く。
法を定める者なくば、知は死の友だ。
思うに人類の運命は愚者の手中にある。


「混乱」、それは僕の墓碑銘になるだろう。
ひび割れて荒廃した道を這いずって、
どうにかなるのなら傍観して笑っていられるかもしれない。
だけど、僕は明日が怖い。きっと自分は泣いているはず。
そう、僕は明日が怖い。きっと自分は泣いているはず。

ジョジョの奇妙な冒険」、有名だけれど自分はまだ読んでいない。荒木飛呂彦の作。この漫画家の作品には、ほかに「魔少年ビーティー」とか「バオー来訪者」とかあって世代的にそっちの方になじみがある、のだが、覚えているのは、画もストーリーも独特のオタクっぽい雰囲気(?)だったことと、少年ジャンプの連載が打ち切りになったかのように早めに終わったことだ。ああ、あともう一つ記憶にあるのは、「バオー」ってあだ名の友人がいた。本名はオオバ君だ。バオー元気かなあ。。

そんな感じで当時は成功するような漫画家には思えなかったけれど、その後「ジョジョ」で当たったようである。で、その「ジョジョ」のキャラ(?)に「キング・クリムゾン」というのがいて、必殺技(?)の名前が「エピタフ」らしい。詳しくは調べていないが予知能力を発揮する技なのだそうだ。


閑話休題。ここからはプログレバンドのキング・クリムゾンのお話。

エピタフ(墓碑銘)は、キング・クリムゾンのデビューアルバム「クリムゾン・キングの宮殿」のA面3曲目。預言者の歌。1曲目の「21st Century Schizoid Man」と並んで、暗い未来に対する警鐘のような歌詞になっている。

初期の頃のキング・クリムゾンには演奏をしない作詞担当のメンバーがいて、そいつがめんどくさい歌詞を書く。これがバンドのウリだった。歌詞がめんどくさいのはプログレの特徴だ。これもボブ・ディランの延長線なのだろう。たぶん。でもボブ・ディランみたくかっこよく決まらないのもプログレの特徴なのだ。たぶん。

演奏には当時最新鋭の電子楽器メロトロンを使っている。これもこのバンドのウリだ。ただ曲のアレンジが大袈裟で、まぁダサい。ダサいのもプログレのいわゆるひとつの特徴なのだが(たぶん)、その中でもそうとうなものだ。メロディも保守的で昭和の歌謡曲みたいだから、カラオケでも歌いやすいのではないか。たぶん。

と、四の五の言うのはこれくらいにして本日のBGM

ザ・ピーナッツによるカバー




西城秀樹によるカバー




キャンディーズ

キャンディーズがファイナルカーニバル@後楽園球場で歌った「GOING IN CIRCLES」の間奏けがなぜかエピタフのコピー^^;
https://youtu.be/SWQ-oOO51YY
(埋め込み禁止のためリンクのみ)


ということでオリジナルの演奏は下記。

クリムゾン・キングの宮殿(K2HD/紙ジャケット仕様)

クリムゾン・キングの宮殿(K2HD/紙ジャケット仕様)

帳簿の世界史

帳簿の世界史

帳簿の世界史


欧米の会計とその責任の歴史をテーマに書かれた本です。著者は南カリフォルニア大学の教授で主に西ヨーロッパの近代史を研究しているようです。

原典は2014年に出版されたもの。原題の「The Reckoning」 には「決算」「清算」のほかに「最後の審判」「報い」「罰」といった意味があり、本書の重要なキーワードになっています。サブタイトルは「Financial Accountability and the Rise and Fall of Nations」(財務会計責任と国家の興亡)。自分が読んだ日本語版は2015年に出版されました。翻訳は村井章子氏(ダニエルカーネマン「ファスト&スロー」など)。

主にルネサンス期から近代の西ヨーロッパや米国を舞台に会計の発達や国家財政まつわるエピソードが取り上げられ、終盤にこれらの歴史を踏まえて世界恐慌エンロン事件に代表される大きな会計不正、リーマンショックなど現代社会への考察が加えられています。

本書を通じて述べられていることは、国家や企業といった組織にとって会計が繁栄の強力な武器になると同時に腐敗や衰退の原因にもなりうる諸刃の剣だということ。

著者は会計責任がよく根付いた社会にはそれを支える倫理観や文化の枠組みが存在していたと述べています。しかしながら、これを維持することは難しく継続的に果たした国家はいまだかつてないとも指摘します。

資本主義と近代以降の政府には、決定的な瞬間に会計責任のメカニズムが破綻し危機を深刻化させるという本質的な弱点があり、経済破綻は金融システムに組み込まれているものだと考えています。経済破綻はいつか必ずやってくるもの、そう考えています。

かつて隆盛を極めた組織には、神による最後の審判への恐れなどから会計(accounting)や責任(accountability)を重視する文化が社会に根付いていました。会計制度の複雑化や相次ぐ不正による会計不信により、現代は会計に対する一般市民の関心が薄れて多くを期待しなくなっていますが、いつか必ずやって来る清算の日に備えるべく、かつてのような倫理的、文化的な高い意識と意志を取り戻す必要があると主張しています。


学者が書いた本ではありますが、学術的に緻密に考察されたものというよりは会計にまつわるエピソード集として楽しく読めました。基本的には政治経済の歴史をテーマに書かれたもので会計の技術的な側面についてあまり詳しく書かれていないため、個人的にはもう少し深く知りたいなと思う部分がありました。


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<レビュー>
◆どんな英雄も、どんな大帝国も、会計を蔑ろにすれば滅ぶ| 鼎談書評 - 文藝春秋WEB
http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/1314

◆権力とは、財布を握っていることである | 東洋経済オンライン
http://toyokeizai.net/articles/-/65119?page=3

◆‘The Reckoning’, by Jacob Soll - FT.com
http://www.ft.com/intl/cms/s/2/ec9c5abe-cb02-11e3-ba9d-00144feabdc0.html


<著者へのインタビュー>
アベノミクスは世界史上、類を見ない試み:日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/230078/070300002/