Les Rêveries du promeneur solitaire

ポジティビズム!「論より証拠」論 その3

一般に疲労感はプラセボが比較的よく効くらしい。プラセボ効果だって効果のうちなのだから、どうせならうまく付き合いたい。

近所のスーパーで梅果汁入りの黒酢というのを見かけたので買ってみた。お値段は比較的高め。打ち返せないくらい高すぎると見送らざるを得ないが、今回のは気分的にはストライクゾーンに入っていた。この手のものは少し高めくらいがアリガタミがある。これにポッカレモンを加えてソーダで割ってみた。

味はまずくない。少しまずいくらいの方がアリガタミがある、かもしれない。良薬は口に苦しという都合のいい常套句もある。有難味は苦い味がするのだ。

なぜアリガタミにこだわるのかというと効果を信じる材料になるからである。疑ってはいけない。信じる者は救われる。アリガタヤーアリガタヤー・・・

3た論法

巷でこんな感じの主張をみかけることがある。

  • ある特定の方法で投資をしたら大儲けした。投資必勝法伝授します!

薬やサプリメントで、「1.使った」→「2.治った」→「3.だから効いた」という3つの「た」を使った文章で効果を主張するやり方を、三段論法をモジって「3た論法」といったりする。日常生活の中でこの手の評価や判断は無意識のうちに頻繁に、文字通り日常茶飯事に行っていて、それでも大した問題になることなんて殆どない。けれども客観的に効果を主張したい場合にはツッコミどころが多くて問題だとされている。

そのサプリを使わなくても自然に改善したかもしれないし、効果があったとしてもプラセボと変わらない程度かもしれない。

2×2表

この手の原因と結果の関係を推し量る場合には、2×2表を使って比較するやり方がスッキリする。


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は以下の人たちを指す。

  • サプリxを使って治った人たち
  • 投資必勝法yで儲かった人たち
  • ノーベル賞受賞者で特徴zを持つ人たち


ヒトのココロのデフォルト設定は、基本的にaにオートフォーカスして仮説に合致する例がないかどうかを自動的に探しにいく。3た論法は基本的にその動作に従っている。魅力的なエピソードが添えられていると説得力のあるストーリーになるので、セルサイド(売り手)のプレゼンとしてやるにはいいと思う。

けれども、消費者であるバイサイドの立場としては、地球から月の裏側が見えないからと言って存在しないというわけにもいかず、全体を見て客観的に評価したい時には、b,c,dの人たちにも同じように目配りする必要がある。一般に仮説が正しいかどうかを確認したいときは、無意識のオートフォーカスに任せきりにしないで仮説に反する例を意識的に探しにいくのが「急がばまわれ」的な近道となったりする。


は以下の人たちを指す。

  • サプリxを使ったのに治らなかった人たち
  • 投資必勝法yを使ったのに損をした人たち
  • 特徴zを持っているのにノーベル賞を受賞しなかった人たち

は以下の人たちを指す。

  • サプリxを使わなくても治った人たち
  • 投資必勝法yを使わなくても儲けた人たち
  • 特徴zがないけれどノーベル賞を受賞した人たち

の存在は気づいたところで重要性が低いように感じてしまう。でもできればなるべくきちんと数えたい。

  • サプリxを使わなくて治らなかった人たち
  • 投資必勝法yを使わなくて損をした人たち
  • 特徴zがなくノーベル賞も受賞しなかった人たち

群間比較試験

aとbの人数の合計がサプリxであれば、サプリxを使った人の合計になる。この人たちは「暴露群」(exposure group)という*1a/(a+b)の計算式で暴露群のうち治った人の割合が算出できる。この割合をとする。

cとdの人数の合計がサプリxであれば、サプリxを使わなかった人の合計になる。この人たちは”control group”なんていう。日本語だと「対照群」*2c/(c+d)は対照群のうち治った人の割合だ。この割合をここでは、とする。

①が②と比較してどの程度の大きさなのかを見るために、①/②を算出する。この計算結果を「相対危険度」(relative risk:RR)という*3。相対危険度が1の場合、どちらの群にも差がないということなので効果なしということになる。1を上回れば上回れるほど効果がありそうだといえる。反対に、1未満なら下回り具合によっては逆効果ということになる。

相対危険度をaからdの記号で表すと、「a/(a+b)÷c/(c+d)」となる。

相対危険度と同じような指標として「オッズ比」(odds ratio:OR)がある。暴露群と対照群それぞれについてギャンブルでおなじみのオッズを算出し、その比を算出するもの(a/b÷c/d)がある。式を変形して「a×d÷b×c」でも同じ値を求めることができる。2×2表を対角線上にたすき掛けした後で比を求める式になる。


暴露群にプラセボを超える効果があるかどうかを見たいときには、対照群にプラセボを与えて比較する。すでに確立している別の治療法の効果と比較したい場合には、対照群に比較したい治療法を施せばよい。これは、むしろ対照群の患者をなにもせずに放置しておくことが倫理上相応しくないような場合によく見かけるやり方。

暴露群と対照群とは比較したいもの以外は、条件をできるだけ同じにするのが望ましい。けれども人にはそれぞれ個人差がある。人は全く同じにしろといっても限界があるので、くじ引きなどを使ってランダムに割り当てることで、できるだけ個人差の傾向がどちらかの群に偏らないように配慮する。このような群間比較試験をランダム化比較試験という。

臨床検査と2×2表

臨床検査の感度や特異度、陽性的中率や陰性的中率について以前2回記事にした。
http://sillyreed.hatenablog.com/entry/2014/08/30/224736
http://sillyreed.hatenablog.com/entry/2014/09/13/234550

これらの関係も2×2表で表すことができる。


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  • 感度=a/(a+c)
  • 特異度=d/(b+d)
  • 陽性的中率=a/(a+b)
  • 陰性的中率=d/(c+d)

顛末書?

黒酢クエン酸の有効性と安全性はどのように評価されているのだろうか。気になる評価について、ネット上に公開されている国立健康・栄養研究所のデータベースを見てみた。

黒酢
http://hfnet.nih.go.jp/contents/detail850.html

概要

一般に、黒酢は静置発酵法で製造された純玄米酢又は純米酢をさし、熟成が進むにつれて黒味が増加しその色調が褐色を呈することから「黒酢」と呼ばれている。鹿児島県福山で約200年前から製造されていることから「福山酢」とも呼ばれている。JAS規格では米酢に分類される。黒酢は米、麹、水をそれぞれ2:1:6 (容積比率) の割合で仕込み、糖化→アルコール発酵→酢酸発酵と順次進行させて熟成させる。俗に「疲労回復によい」、「血圧を下げる」、「血流を改善する」、「脂質代謝を改善する」と言われているが、ヒトでの有効性については信頼できるデータが十分でない。黒酢を食事以外から一度に過剰摂取するときは注意が必要である。

安全性

黒酢を食品として摂取する場合はおそらく安全と思われる。妊娠中・授乳中の摂取における安全性については十分なデータが見当たらないため、食事以外からの過剰摂取は避けたほうがよい。黒酢に含まれる酢酸は、高濃度のものを摂取すると中毒を起こす可能性が示唆されている。

有効性

(注:下記の内容は、文献検索した有効性情報を抜粋したものであり、その内容を新たに評価したり保証したりしたものではありません。)
黒酢の有効性についてはヒトでの信頼できる十分なデータが見当たらない。


クエン酸
http://hfnet.nih.go.jp/contents/detail25.html

概要

クエン酸は、レモンやライム、グレープフルーツなどの柑橘類に多く含まれるαヒドロキシ酸の一種で、糖代謝 (クエン酸回路) の中間体としてエネルギー代謝において中心的な役割を果たしている。俗に、「疲労回復によい」「筋肉や神経の疲労予防によい」などといわれているが、ヒトでの有効性については、信頼できる十分なデータが見当たらない。安全性については、経口摂取でまれに下痢、吐き気などの胃腸障害、外用剤としての使用で日光や紫外線による過敏症が報告されている

安全性

・α-ヒドロキシ酸 (クエン酸、リンゴ酸などを含めた物質の総称) として、副作用はほとんど知られていないが、まれに下痢、吐き気などの胃腸の不調を訴える人がいる。外用剤は日光や紫外線によって過敏症が起きることがあり、長期にわたると皮膚がんのリスクが高まる可能性がある。

有効性

(注:下記の内容は、文献検索した有効性情報を抜粋したものであり、その内容を新たに評価したり保証したりしたものではありません。)
α-ヒドロキシ酸 (クエン酸、リンゴ酸などを含めた物質の総称) として、外用で日焼け、乾燥を防ぐのに有効性が示唆されているが、科学的な実証は不十分である。


どうやらどちらも効果が実証されているとは言えない模様。積極的に否定されているわけではないようだけれど、これだけ巷で有名な主張がいまだにまともな検証をされていないというのは推して知るべしという感じがしないでもない。もし本当に有望ならあの強欲な(?)ビッグファーマ(^^)がただで放っておくわけがないではないか。

どうも効果に関しては精神力で脳内補完するしかないみたいだなあ。あとは使いすぎて副作用なんてことにならないように。

食べ物としてふつうに食べる分には問題がなくても、健康のためとばかりにガブ飲みすると安全性の閾値を超えて不健康なことになってしまうかもしれない。

栄養の適正量は不足する量と過剰な量の間の領域を指しているに過ぎなかったりすることはわりと多い。要はバランスなのだ。

作用があまり期待できそうにないのに副作用なんて、それってなんて罰ゲーム?信じる者はホントに救われるのだろうか?

*1:ちょっと物騒でイカツイな感じがする言葉だけれど単なるギョーカイ用語である。文学ではないからテクニカルタームには定義以上の価値判断や思い入れはしない方が無難だ。「実験群」(experimental group)ともいったりする。テクニカルタームは、ついでに英訳も覚えておくと英語の論文を眺めるときにつっかえる回数を減らすことができる。

*2:心理学などでは「統制群」と訳されることがある。

*3:「相対危険度」という表現も少しやっかいだ。今回はこの方法を有効性評価の観点から取り上げているけれども、安全性を評価するときにも同様の方法が使われる。例えば、あるバクテリアとかタバコの煙とか放射線とかに曝された人(暴露群)と、そうでない人(対照群)との結果(ある病気の発症など)を比較する際に、相対危険度が何倍になるとか、そういう使い方をする。安全性の評価から考えると暴露群や相対危険度を文学的(?)に理解しやすい。

ポジティビズム!「論より証拠」論 その2

お盆カレー

ボンカレーの「ボン」ってお盆のボン?
オセチもいいけどカレーもね♡
あれはククレか…
お正月がククレなら、お盆はボンカレー、なのか?

ぐぐってみたところ、ボンカレーはお盆とは無関係で仏語の“bon”からとったのだそうだ。ボンジュールのボン。ちなみにククレは”cookless”という造語をさらに縮めたのだそう。意味わかんね。

シトシトピッチャン、シトピッチャン…♪
帰らぬチャンを待っている。
チャンの仕事はシカクぞな...
…じっとガマンの子であった…


かわいそうに…ホントーのカレーを食べたことがないんだな…
3分間待つのだぞ…いや、待ってください。
ホンモノのカレーをご覧にいれますよ!
シカクいニカクが、まあるくおさめまっせ!
(山岡停仁鶴)

ホント、意味わかんね。

魅力的なメカニズム論ストーリーの落とし穴

閑話休題
因果関係のカラクリを解き明かすストーリーは、推理小説で犯人を特定するようで面白い。そのせいか因果関係を考えるときに、わかりやすいストーリーとかもっともらしい理屈にこだわりすぎてうまくいかないこともある。

カラクリの解明にこだわるよりも、観測された事実から因果関係を推測した方がうまくいく場合も多い、というか、カラクリの理屈は理屈としてそれなりに尊重しながらも、理屈が正しいのかどうかは、やっぱり実際に試してみないことには…ということも多い。

コンピュータのプログラムにバグがつきものであるように、特にカラクリやロジックが複雑だったりするような場合、「ボクの考えた究極のメカニズム」が示す予想結果が、実際とずれてしまうことはわりとありがちなのではないか。

例えば、βカロテン。取りませベータカロチン。20年くらい前に喫煙者がサプリメントとして多めに摂ると肺がんを抑制するかもという仮説があり、小規模だったり大雑把だったりの方法ながら仮説をサポートする研究も発表されてブレイクした。

でも、きちんと調べたところ期待したような効果は確認できず、逆に肺がんが増えてしまう可能性を示唆する結果がでてきてしまい、研究は頓挫。肺がんが増えるメカニズム(理由)はわからない。

ヒトは納得するために理由(カラクリ)のストーリーを知りたがることが多いから、それがわからないという状態を受け入れるのは辛いことがあるけれども、わからないことなんて世の中にたくさんあるんだから、ある程度あきらめるしかない。しょうがない。

逆にいうと、βカロテンサプリメントが喫煙者の肺がんを増やす可能性がることが分かったように、カラクリがわからなくても観測された事実をつなぎ合わせて因果関係を推定できることもある。データにはストーリーが描かれていないから面白くない。でも、因果関係をカラクリから明らかにするのは、事実を積み重ねて推測する方法よりも難易度が高いことが多い。少し意外かもしれないけれど。

事実の積み重ねから因果関係が強く示唆されているのに、メカニズムが解明されていないとして判断を留保した結果、遅きに失するような例もある。

たとえば、水俣病は、疫学的な証拠からは早い段階で水俣湾の魚を食べることが原因であることが分かっていたにもかかわらず、病理や原因物質を解明する方向にこだわったためにとても長い時間がかかってしまった、という批判がある。

疫学のヒーロー

疫学は事実を観測して頻度や分布、因果関係を究明する実証的な学問。疫学の歴史を眺めてみると、過去には病理のストーリーや本質的(!)*1な原因物質が分からなくても記録を取って分析し、病気の原因や対処法を発見した人たちがいた。

ジョン・スノウという英国人は19世紀中頃のロンドンでコレラが流行した際に、観測したデータを分析し、汚染された井戸水が原因であることを突き止めた。これはコレラ菌が発見されるより前の時代の話。当時は病原菌というアイデア自体がまだ未確立だった。ジョン・スノウは疫学の創始者とされている。

同じく19世紀中頃、ハンガリー出身の産科医イグナッツ・ゼンメルワイスは、医療スタッフが手を塩素消毒することで病院内の産褥熱の感染を大幅に下げられることを発見した。彼は患者を救うべき自分たち医師が逆に産褥熱の原因だという、なかなか受け入れがたい主張をしたので、医療界から排斥され、悲劇的な末路をたどってしまった。強い信念とか正義感、高いプライドを持って仕事に励んでいる時は、ブレない代わりに頑なになって過ちを認められなかったりすることもあるよね。ゼンメルワイスはその犠牲になったのかもしれない。死後に名誉が回復されて院内感染予防の父などといわれるようになった。

18世紀半ば、英国の海軍軍医、ジェームズ・リンドは野菜や柑橘類を食べることで壊血病を予防できることを発見した。この発見に際して、柑橘類を与える船と与えない船とに分けて結果を比較するという、今でいうところの群間比較試験を考案したことから、EBM(evidence-based medicine)の創始者ともいわれるらしい。これぞ究極の軍艦比較試験(?)。群間比較は、集団を二つにわけて、一方にあるものを与え、他方には与えない。それ以外の条件は全部同じにして同時並行で実験をすすめるやり方。バイアスが入り込む余地が比較的少ない方法だから、現在も臨床試験や治験で一般的な方法だし、心理学など疫学以外の分野でも使われている。壊血病の発症がビタミンCの欠乏と関連することが分かったのは20世紀になってからの話。

19世紀後半、日本の海軍軍医、高木兼寛は、軍内部で流行していた脚気の原因を白米中心の食事にあるとする栄養学説を唱えて海軍食に洋食や麦飯、カレーライスを導入、脚気を大幅に減少させることに成功した。これも船を使った群間比較。一方の船には白米による和食、もう一方には洋食を与えて結果を比較する方法で実証した。英国留学組だったのでジェームズ・リンドの功績を知っていたのだろう。脚気の発症がビタミンBと関連することが分かったのは20世紀になってからの話。当時、脚気は主にドイツ留学組が主張する病原菌説が有力だった。高木も病原菌ではないが別の物質を原因と考えていたのでメカニズム論では的を外したが(ビタミンなんてまだ概念すらなかったし)、実証的な方法が海外でも高く評価され、日本疫学の父といわれている。あと海軍カレー=日本のあの肉じゃがカレーの父(?)

おまけ

ということで、やっとこさカレーの話にもどった。なんとかつながった。
しかしながら、実のところ加齢のせいか、日本風カレーはハっとしてグー?? じゃなくて、グにしてもルーにしても、デンプンと油分がややキツい感じがしてしまう。

個人的にはセブン&アイキーマカレーのレトルトが比較的さっぱりめで気に入っている。つーか、今日も食った。だけど最近セブンイレブンでなかなか見かけなくなった。

本日のBGM

*1:ちなみに「本質」(エッセンス)というのは便利な言葉だけども、もともとは「実存」(エクジスタンス)の対義語としての意味を持っていて、あの世系の魔法の言葉に属していた。実存は物質的な存在で、本質は概念的な存在。実存する肉体は時が経てば朽ちる。しかし魂は本質的な存在で永遠だ、みたいな感じ?

ポジティビズム!「論より証拠」論 その1

聖書のことはよく知りもしないので、あまり深入りしたくないけれど取りあえず。

ヨハネによる福音書は「はじめにロゴスありき」という有名な言葉から始まる。続く文章は「ロゴスは神とともにあり、ロゴスは神であった」。

ロゴスというのは英語のロジック(logic)の語源であり、言葉、言語、論理、理論、原理、概念、とかそんな感じの意味を持っている。

ヒトは不完全だから神様のプログラミング言語をなかなか解読できないけれども、宇宙はもともとはじめらかロジカルにできている、のだろうか?全知全能の神様が創造したものだとすると、そう言えるのかもしれない。

もしも全知全能の存在なら、不確実なものは一切なく現在も過去も未来も同じように見える、のだろうか。神業なのか、それとも悪魔的なのか *1


ものごとの因果のメカニズムを解明するストーリーは、推理小説で犯人を特定するようで面白い。そのせいもあってか、因果関係を考えるときに、わかりやすいストーリーやもっともらしい理屈にこだわりすぎて失敗することがある。

頭の中で想い描いた理屈の世界、つまり「理想」に強く惹かれ、思い余って、不完全だったり、不条理だったり、儚かったりする現実に対して否定的な感情を強く持ちすぎるようなこともある。

オカルト思想というのは、概してとても理屈っぽいという特徴がある。現世は仮の世界でここ以外のところに真の世界があると考える。その理屈上の世界へ自らを合一させることを目指す、というのがよくあるパターンだ。極端な理想主義は浮世離れして現世否定的になる。

オカルトの語源は、ウィキペディアによれば(笑)、「隠されたもの」という意味のラテン語に由来するのだそうだ。凡人には知ることのできない超自然的な真理を追究するというとか、そういう具合の意味なのだろう。

古代ギリシャピュタゴラス教団も神秘主義だった。彼らは修業の一環として数学や音楽を研究していた。有名なピタゴラスの定理はその成果の一つらしい。たしかにふつうの日常生活を過ごしていても、あんな法則を発見するのはちょっと、というか、かなりの難儀だ。

物理学などの学問も、歴史的には神秘主義的な思想が背景にあったりすることが多いようだ。宇宙にはヒトの目にはなかなか見えない真理の法則(ロジック)が隠れている。なんつったて、はじめっからロジカルにつくってあるんだから。神様が。そのロジックを解明し、最終的に真理(神)との一体化を目指す。そして永久不滅の存在になる(巨人軍でもポイントでもなく)。

こういった理屈や概念を中心とする考え方がある一方で、現世においてヒトが経験する事実を重視する考え方がある。形而上学や合理論に対して経験論や実証主義(ポジティビズム)、決定論に対して確率論。客観主義と主観主義。演繹と帰納

後者に与する人たちは、人間中心的(自己中心的?)で、ある意味で神も恐れぬ不届き者ということになる。実際、経験論を説いた人の中には懐疑論者(無神論者)もいた。デビッド・ヒュームという人。

ヒュームは因果の必然性を否定して、「蓋然性」という言葉を使った。英語でいうと” probability”という言葉。「蓋然性」のほかに「確率」とか「確率論」という意味を持っている。神様があらかじめこしらえたロジック、運命的で予定調和な必然性から、ヒトは自由になって、その結果、不確実な未来を自分で考えて自分の手足でジタバタしなければならなくなった。いわゆるリスクマネジメントなんかもそんな中で必要になってきた。

古代ギリシャの時代にはサイコロはもうあったようだ。ピュタゴラス教団があったように数学もさかんで、数多くの重要な発見がされたり証明されたりした。でも、そこでは確率論は発達しなかったらしい。決定論を受け入れていたからだろうか。

確率論が始まったのはルネサンス以降、本格的に発達したのは近代に入ってかららしい。ルネサンスの時代、欧州にアラビア数字が伝わり、それまでのローマ数字に比べて桁数の多い複雑な計算が容易になったというテクニカルな要因のほかに、人間中心の時代に移ってきたというのもあるという説もある。確率論はバクチの世界から生まれたらしいので、バクチもさかんだったのかもね。人間だもの。


あの世の理屈か、それともこの世の経験か。長い間、議論されてきたけれど、特段決着らしいものはついていない。どちらも一長一短あるからだろう。実際、理論と実験は両輪だから、どちらが欠けてもうまく回らない。でも、さっき書いたように理屈には魔法のような魅力があるから、この世の中にまだ証拠がなくても先走りしがちなところがあるし、浮世離れしてしまうこともある。


「その2」につづく、かもしれない。

Drafted Again/徴兵復活

ベトナム戦争後、米国は徴兵制を停止していたが、1980年にソ連アフガニスタン侵攻への対応として時のカーター大統領が徴兵制を復活させる法律にサインした...という背景があってこの曲。アレンジはアニソンみたいでとっても楽しい。




I don't wanna get drafted
I don't wanna go
I don't wanna get drafted
PHOOEY!

オレ、徴兵されたくねえ
オレ、行きたくねえ
オレ、徴兵されたくねえ
チクショー!

I don't wanna get drafted
I don't wanna go
I don't wanna get drafted
NO-OH-WOH-OH-WOH...

オレ、徴兵されたくねえ
オレ、行きたくねえ
オレ、徴兵されたくねえ
オーノーーーーッ


Roller skates 'n disco
It's a lot of fun
I'm too young 'n stupid
To operate a gun

ローラーディスコ、
とっても楽しいよ
ボク、幼稚でおバカすぎるから
銃なんて扱えないよ

坊やの声の主は3番目の子供のアーメット・ザッパ。


My-y-y sister don't wanna get drafted
She don't wanna go
My sister don't wanna get drafted
My-y-y sister don't wanna get drafted
She don't wanna go
My sister don't wanna get drafted

オレの姉ちゃん、徴兵なんてされたくない
姉ちゃんは行きたくない
オレの姉ちゃん、徴兵なんてされたくない
姉ちゃんは行きたくない
オレの姉ちゃん、徴兵なんてされたくない


Wars are really ugly
They're dirty and they're cold
I don't want nobody
To shoot me in the fox hole...fox hole
戦争ってホントひどい
汚くて冷たい
タコツボ(塹壕)で誰かに撃たれるなんてイヤ

微妙に音程を外すなど一般人の素人っぽさを醸し出している女の子の声は一番上の子のムーン・ユニット・ザッパ。女の子が登場するのは、徴兵制の対象が男性に限定されていたことから男女差別の議論が当時に上がっていたなんてことがあったのだそうだ。

それから「アイイイ」” Aiieeeeeeeee”という声は英語的には恐怖でひきつったような声を表すようで、日本語だと「ひええええ」とかそんな感じか。

この曲は、1981年発表の2枚組のアルバム” You Are What You Is”の最後に収録されている。ちなみにこのアルバムのタイトル曲では、この年に就任したばかりの新大統領を電気椅子にかけるPVを作って当時隆盛のMTVで流したので、その後、まともなメディアには出演できなくなったという。地元カリフォルニア州知事時代からのレーガン嫌いだったらしい。



You Are What You Is by Zappa Records 【並行輸入品】

You Are What You Is by Zappa Records 【並行輸入品】

シグナル&ノイズ 天才データアナリストの「予測学」

シグナル&ノイズ 天才データアナリストの「予測学」

シグナル&ノイズ 天才データアナリストの「予測学」


600ページ近くある分厚くて重い本。もっともそのうちの70ページくらいは脚注で、よほどの物好きでもない限り、脚注を舐めるように読んだりはしないと思う。けれどもそれでも多め。持ち歩くのには体力が必要である。自慢ではないが自分は通勤電車の中でしか本を読まないという不熱心な自称趣味は読書の人なので、この本を読んでいる間、通勤がよい運動になったのであった。体力をつけたい人にはオススメできる。キンドルが切実に欲しくなる本。

著者は米国人で、原本は米国で2012年9月に出版された。”The Signal and the Noise : Why Most Predictions Fail – but Some Don't”。当時かなり売れたらしい。Amazon.com によるBest Books of 2012、ならびにウォールストリートジャーナルのThe Best Nonfiction of 2012に選ばれている。翌年の2013年には世界各国で翻訳本が出版され、日本語版は2013年11月に出版された。

米国じゃ本当にこんなブアツイ本がたくさん売れるのだろうか?ホントに読んでるのか?日本じゃ池上彰とか、薄くて字が大きめの新書とか、噛み砕かれて呑み込みやすいライトな流動食系とかじゃないとなかなか難しそうな感じがする。たまにはエビでも食べないとふやけちゃうけどな(ただし釣針には注意)。まぁ自分も結局は単純なことにしか納得できないことに鑑みれば、フウフウいいながらアツアツの本を読んだところで消化できる内容は薄っぺらな新書程度が限界なのかもしれない。

PDCAサイクルじゃないけれど、ヒトはただ行動するだけではなくて手元にある情報をもとに予測をして計画を立てたり、振り返って反省して改善したりという特徴を持っている。たまにはヤミクモにDDDDサイクル(?)で正面突破を試みるのもいいけれど、情報をうまく活用してなるべく効率的、効果的にパフォーマンスを上げたいというのは、けっこうベーシックな欲望なのではないか。

高度情報化時代という言葉は1970年代からあったのだそうだ。インターネットの時代になって情報への曝露量は爆発的に増えている。けれどもミスリードするような判断材料も比例して増えているし、知識は思うようには増えていないのが現実。

本のタイトル「シグナル&ノイズ」は、将来予測をするときに、世の溢れている情報の中から、なにをシグナルとして捉えて手掛かりとするのか、なにをノイズとして判断材料から除外するのか、うまく区別しないと予測もうまくいかない、という、とても難しい課題を示したもの。

観測されたデータにうまく当てはまる規則性を見つけたとしても、観測データの中にはシグナルとノイズがごちゃまぜになって区別できなかったりする。これでは見つけたと思った規則性はノイズにまで当てはめた過剰適合の結果であり、予測の使い物にはならないかもしれない。

自分がこの本を読んでみようと思ったきっかけは*1、2013年の初めに医学生物学分野の論文の多くに再現性が確認できなかったという研究が発表されアカデミックな世界で話題になっているという話を耳にしていて*2、その熱がまだ冷めやらぬうちに例のSTAP細胞の事件があり*3、そんな中でこの本でも医学生物学の論文の再現性の問題にに触れているというのをAmazonかなんかで見たのがきっかけだったと思う。たしか。たぶん。

各章では、さまざまな分野の予測が具体的に取り上げられ、筆者の分析や考えが述べられる。野球予測システム、天気予報、巨大地震、経済予測、インフルエンザ(パンデミック)、コンピュータ・チェスと人間との戦い、ポーカー、金融市場、地球温暖化、テロ。

これらのテーマは21世紀に入って早々話題となったものも少なからずあり、興味深く読めると思う。東日本大震災原発事故、リーマンショックパンデミック2009H1N1、アメリカ同時多発テロ事件

筆者の主張はいろいろあるけれども、全体を通じたテーマはベイズ統計学のススメである(ベイズ統計学については、以前ここでも少し話題にしたことがあるが自分は詳しいわけではない)。頻度主義といわれる統計学の主流派とベイズ統計学はあまり仲がよろしくなく、本書でも筆者は頻度主義やその大家であるロナルド・フィッシャーを批判的に取り上げている。

ベイズ推定のフレームワークは、事前に見積もった確率を新たに観測された事実によって微妙に修正して事後確率を求める、そしてそれがまた新たな事前確率となる、というサイクルの繰り返しであり、さっきのPDCAサイクルじゃないけれども、わりと常識に通じるものだと思う。

たとえば、科学に対する一般的な期待の中には、「なにかクリエイティブな新しい発見が、一気に世界の見方を根本的に変えてしまう」というようなものがあるように思われ、メディアの報道でも新発見ばかり内容もよく吟味されずに拡散される。けれども、新発見も大事だけれど実際には間違っているというか、のちのち棄却される不発の新発見も数多くあり、再現性を検証するような地味で地道な作業の繰り返しも同じように大事だと思う。

ところで、本書では予測を当てる人と外す人とのキャラクターの違いが述べられている。当てるタイプの特徴は、さまざまな分野に取り組む、柔軟、自己批判的、複雑さを受け入れる、用心深い、理論より経験を重視する(※)、ような人で、逆に外すタイプの特徴は、1つか2つの大きな問題を専門とする、硬直的、頑固、秩序を求める、自信がある、イデオロギー的であり、端的にいうと「テレビに出てくるような専門家」だという。

これは政治予測に関する、ある研究の結果であり、他の分野に当てはめるのは多少無理があるかもだけれども、目新しいことを自信満々に断定的に語る方が人目を引くし、権威がありそうに見える。アーでもないコーでもないという学者っぽい話し方よりも、話は単純な方が納得されやすい。だから、テレビには学者として「?」な人がよく顔を出してマユツバな話をする傾向があるというのは、自分の主観的なイメージには合う。




※追記
「理論より経験を重視する」というのが誤解を招きそうなので追記します。これは理論よりも個人的な体験談をアテにしろというのではなく、理屈よりも観測されるデータを重視ということで、つまり「論より証拠」ということ。個人的な体験談をアテてにするのは客観性とか正確性の面から考えたい場合にはいろいろと問題がある。「論より証拠」について、ここにそのうち何か書くかもだけれどいつになるか不明。書かないかもしれない。。

*1:(ずいぶん前に買ってしばらく積んでいたので記憶はおぼろげなのだが・・・)

*2:http://www.nature.com/news/nih-mulls-rules-for-validating-key-results-1.13469

*3:主要なメディアの報道はセンセーショナルでスキャンダルな部分の話題ばかり目立ったのだけれども、専門家の世界では事前にそういう課題認識があった。センセーショナルでスキャンダルな部分があったのはそうなのかもだけれども。

Poupée de cire, poupée de son / 夢見るクラウト人形

おまえもロウ人形にしたロウかっ!

ロウ(紙ジャケット仕様)

ロウ(紙ジャケット仕様)


関係ないとは思うけれどもドイツのミュンヘンにオリンピック・タワーという塔があって、その中の一角にロック博物館があるらしい。かつて東京タワーには蝋人形館があった。この蝋人形館は、趣味的に偏った人選や展示物があるということが、一部の趣味的に偏った人たちの間だけでは有名(?)だった。

偏った趣味的というのは、フランク・ザッパ、ロバート・プリップがいる・・・ならまだしも、ジャーマン・プログレ系の人たちの展示が特異的なのだった。最近は「ジャーマン・プログレ」という言葉はあまり使われないのかもしれない。「クラウト・ロック」などという。60年代末から70年代に西ドイツで隆盛したロックのジャンル。「クラウト」は例のドイツの酸っぱいキャベツの漬物、ザワークラウトを指す。

その蝋人形館が2年くらいまえに閉鎖され、個人的に蝋人形さんたちの行方が気になっていたところだったのだが、その一部が六本木のロック博物館(Tokyo Rock Showcase)で展示されているという話を聞きつけて早速行ってみた。

六本木から乃木坂方面に歩き、ミッドタウンの西側の交差点の近く。地上7階建て、低層階は店舗、高層階はオフィス、築5年くらいの新しいビル。Tokyo Rock Showcaseは、そのビルの4階部分で、広さは50~60坪くらい。そんなに大きな規模ではない。Tokyo Rock Showcaseの中、というかスペースの大半はTokyo Max Museumである。ワックスとか言われてもちょっとピンとこないよねえ、蝋人形は英語でWax figureなんだって。おフランスではPoupée de cire(by フランスギャル)。入場料は1,000円。

運営会社は東京タワーの蝋人形館と同じ(株)藤田商店。創業者の藤田田氏は日本マクドナルド日本トイザらスを創業した名物実業家というのは説明不要でしょうか。東京タワー蝋人形館の館長は長男の藤田元氏で、人形の人選や展示物は元さんの趣味を反映したものらしいと聞く。というか館長の個人的なコレクションを展示しているような印象すら受ける。


クラウト・ロックの特徴、というか、残念ながら自分はそれほど詳しいわけではなのだが、ステレオタイピーなイメージとしては、ミニマル、電子音楽、サイケ、トランス、トリップ、そんな感じ。

ミニマル・ミュージックは、短いフレーズをひたすら繰り返し反復する音楽。60年代頃から現代音楽の中で流行ってきたもの。このころは音楽以外のゲージツ分野でもミニマリズムの動きがさかんだった、らしい。残念ながら自分はゲージツやらアートやらは、さっぱり分からない。スイマセン。

ミニマル・ミュージックは、目下世間を大いに騒がせているドローンとも関連がある(?)。ドローン・ミュージックは一定の音(一般的には低い音)をずぅーっと流し続ける音楽のこと。もともとはDrone(蜂)のぶーんという羽音を指したもの。暑くて寝苦しい夜の蚊の羽音ってほんとにウザイよね、最近聴いてないけど。ミニマルやドローンを使うと神秘的だったり、瞑想的だったり、あるいは宇宙っぽい広がりのある感じの怪しげな音が作れる。

たとえば、ほんの一例だけれども、巨大な滝で大量の水が、ゴーっと大きな音を立てて、ひたすら単調に流れ落ち続けるのをじぃーっと眺めつづけている、そんな場面をイメージしていただくとわかりやすいかも。

または、場所を変えて、小川のせせらぎに耳を澄ましてじぃーっと音を聞いてみる。

ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

絶え間なく流れる水の音。泡ができては消え、できては消え、繰り返し、繰り返し・・・



これで君もデイ・トリッパーになれる!





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ちなみにボク、トリッピー。

ミニマル・フレーズをひたすら反復したり、ひたすら同じような音を流し続ける演奏は当時の新兵器、電子楽器での機械演奏に向いていた。ほかにも磁気テープを使ったり、エレキギターエフェクター(ディレイ)を使ったり技術的にはいろいろとあるようだ。技術的なことなんて自分にはさっぱりであるけれども。スミマセン。

70年代の西ドイツのロックは、英米のサイケやガレージ・ロック、それからプログレのムーブメントの影響を受けながら、ガラパゴス風の進化を遂げたらしい。次第に話題を呼び、70年代後半にはデビッド・ボウイがベルリンに移り住んで、ブライアン・イーノを客演としてアルバムを3枚発表した。

日本で影響を受けた人、きりがないけれど、たとえば喜多郎、ツトム・ヤマシタ、YMOといったあたりでしょうか(?)。アンビエント、ニューエイジ、それから4つ打ちのダンス・ミュージックなどにも影響が感じられる。バブルのころにマハラジャでワンレン・ボディコンのおねいさんが芭蕉扇みたいなウチワふってお祭り騒ぎしていた音楽にも!自分は残念ながらご縁がありませんでしたが。。スミマセン。

そーゆーすごくアリガタイ音楽なんだぞという能書きはこのくらいにして、どんな音楽なんだというと、こんな感じ。

クラウト・ロックがその後、進化と混血を繰り返した結果のひとつではあるでしょう。また繰り返す~♪ ポリビニル、ポリバケツ、ポリブクロ・・・(2007年)


これはロバート・プリップ御大とブライアン・イーノの共作の第一弾(1973年)。ドローンとミニマル。正直、商品としていかがなものか。


デビットボウイのベルリン三部作のうち、ヒーローズにはロバート・フリップが客演、ロジャーにはエイドリアン・ブリューがバックバンドのメンバーとして参加しており、後で二人はキングクリムゾンという古い看板を掲げることになります。特徴はツインギターポリリズム、ミニマル。また繰り返す~♪(1981年)


先日お亡くなりになったデビッド・アレンに敬意を表して、彼のバンド、GONGから。サイケでミニマルな電子音楽。この中では一番クラウトロックに近い。(1975年)


個人的に最近わりと気に入っている。ジョン・ホプキンスというアメリカの大学みたいな名前の英国人。(2010年)


個人的にこの勇ましい曲は走っている時に聴くといい感じ。
デトロイトといえばロックバンドのKISS。それから自動車産業反日感情、犯罪都市、財政破綻・・・それからテクノ。この曲(1987年)の作者デリック・メイはテクノの創始者のひとりなのだそうで、クラフトワークとかYMOとか聴いたのがきっかけとか。
ちなみに同じくデトロイト・テクノホアン・アトキンスは、上で紹介したGONGのギタリスト、スティーブ・ヒレッジの曲を使ってて、それを聴いたヒレッジはテクノに転向してそれなりにうまくいった。時代がヒレッジに追いついた感じもする。


ちなみにザッパはミニマルをやらない。嫌っていたとされている。ザッパは潮流には乗らないということか。電子音楽はやっているんで、代表曲をついでに紹介。(1986年)


というわけで、四の五の書いたけど、この中に本物のクラウト・ロックは一曲もないので自分で探して聴いてみてね。by トリッピー

反復 (1956年) (岩波文庫)

反復 (1956年) (岩波文庫)

坂の上のクラウド(その3)

最終回の今回はライヒについて少し掘り下げてみたい。といっても、長いのはつらいので短くまとめる(でもちょっと長い)。多少なりともエグい言葉が出てくるので苦手な人はご注意ください。これでもあまりに、という表現はそれなりに削ったつもり。

ウィーンでフロイトの弟子としてデビューしたヴィルヘルム・ライヒは、当初はメインストリームの精神分析家で、初期のフロイトの著作にも少なからず彼の文章が引用されているらしい。オーストリア社会党に入党していた。雲行きがあやしくなり始めたのは、1930年にベルリンに移ってドイツ共産党員となり、セックス・ポル(性政治学研究所)を創立したあたりから。

フロイト主義とマルクス主義を結び付けて、「プロレタリアートの性的欲求不満が政治意識の委縮を引き起こす」とし、「性の解放で革命的潜在能力を発揮できる」と唱えた。当時としては今思えるほどアホらしい主張ではなかったようではあるけれども、あえなく(やはり?)失敗し、「非マルクス的ゴミくず」との不名誉な評価を受けて党から除名処分となってしまう。フロイトの周囲とも不和になり、ほどなく国際精神分析連合からも追放。

1933年にはファシズムを「性を抑圧されたノイローゼ患者のサディスティックな表現」と攻撃したので、ユダヤ人だったこともあって、ナチスから逃れて北欧に亡命。デンマークスウェーデンを転々とし、ノルウェーにたどり着いて、オスロ大学でオルゴンという未知なるエネルギーを発見した。1939年のことだ。ところが、ノルウェーでも猛烈な批判の渦が巻き起こったので、アメリカに渡った。メイン州にオルゴノン研究所を設立、そこでオルゴンの研究に励みつつ著作を発表した。

オルゴンというのは、オルガスム(性的絶頂)を語源とした造語で、フロイトのいうところのリビドー(性的欲求のエネルギー)の生物学的、物理学的な裏付けとなるものだそうだ。自然界(当然、宇宙空間も含まれる)のすべてに浸透している非電磁的なパワーであり、生体から星の動きまで司っているスーパー・ミラクルな存在(!)。

色は青である。空が青いのも海が青いのもオルゴンの色。真空管の青い輝きもオルゴン。青色LEDもきっとそのはず(?)。雷は静電気なんかじゃなく、オルゴン・エネルギーである。オーロラもかげろうも雨雲もその生成過程においてオルゴン・エネルギーが関連している。

だから大気中のオルゴン・エネルギーを操ることで雨雲を創出し、雨を降らせることもできるし、雲を蹴散らすこともできる、ということで、クラウドバスターというマシンを制作して、干ばつの折、農民のために雨を降らせた(!)という。空飛ぶ円盤UFOを目撃し、しかもその飛行にオルゴン・エネルギーを利用していることを悟ったので、侵略者から地球を防衛するため、クラウドバスターで撃墜すべし(!)と訴えた。1941年には天才アルベルト・アインシュタインにオルゴンを見せた。特に反応はかえってこなかった^^

生体の単体は細胞ではなく、もっと小さなバイオンという小胞である。なんとこの小胞は集まると原生生物にもなってしまう(!)。バイオンはオルゴン・エネルギーによって「愛の基本的けいれんリズム」にしたがって脈動していて、力学的緊張、生物電気的充電、生物電気的放電、力学的弛緩という4拍子の「オルガスム公式」に従ってこの脈動している。正常な人間の生殖行動もこの4拍子の「オルガスム公式」に従っているのは当たり前だ。でも、リビドーが抑圧されたノイローゼのやつらはアブノーマルなのでこの4拍子に従っていない。

ガン細胞は分解しつつある組織から生じたバイオンが成長した原生生物で、尾を生やしていて魚のように動く。ガン患者はそのまま放っておくと、死亡しない限りこの原生生物に変わってしまう(!)。初期のガンにはオルゴン・エネルギーによる治療が有効である。オルゴンは痛み和らげ、傷の治癒を早めるし消毒もする。オルゴン治療の最終目的は患者に十分で完全なオルガスムを持つことであり、すなわち「オルガスム公式」の4拍子に従わせることである。

星は宇宙空間に満ちたオルゴンの収束的なエネルギーによって動いている。専門家の言う引力なんてものはデタラメだ。生体ではないのでさすがに「オルガスム公式」の「愛のけいれん」は見られないものの、男女の性的抱擁への衝動に似た「重なり合い」によって宇宙は星を生み出す。

1945年には日本に原爆が落とされた。原爆の放射能は、「悪」と「憎しみ」の悪魔的存在なので、「善」であり「愛」であり「神」であるオルゴンでの治療が有効である。

オルゴン治療には、「オルゴン・ボックス」というオルゴンを集めて体に照射するための電話ボックスの背を短くしたような箱に患者を入れる。オルゴン・ボックスは購入することも可能なのだが、医療使用の権利はライヒの財団が保有しており、通常は患者に月極めでリースされる。オルゴン・ボックスのほかにも「オルゴン・エネルギー毛布」や体に部分的にあてる目的の「シューター」も開発した。

本人は大真面目のようだが、ご想像のとおり、専門家の大部分は無視し、残りの一部からは批判を受けた。ライヒは憤慨し、自分を宗教的権威から弾圧を受けたガリレオやコペルニクスに例えて強い調子で反論、というか専門家を罵倒した。

「怒り」のパワーでノーベル賞を取った、とか、フリーザをやっつけたという人もいるけれども、「怒り」は他のネガティブな感情と違い、たとえば「抑うつ」とは正反対に、気分が高揚し、行動は積極的で攻撃的になる。ポジティブな感情である自己肯定感や自信過剰も、あまりに強すぎると独善的になり、他人がアホに見えてなんだかイライラするし、まともに対話をするのも鬱陶しくなる。

自分が他人よりも賢いと感じすぎて、他人が自分よりもアホだと感じすぎる。自分がきちんと評価されていない、本当はもっと評価されるべきだと感じ、そうならないのは他人がアホすぎて評価能力がないせいか、なにか背後に強大な悪のパワーが働いて妨害しているせいなどと感じてしまう。ただ、そんな境地にまでたどり着くのは、さすがにごく少数派だろう。リビドーだかナニだか知らないが、確かに抑圧されているのかもしれない。

ライヒも年を経るほど自分は偉大だという信念が強まっていく。プロに対するリスペクトはなかった。自分をガリレオやコペルニクスに例えるのは、この手の境地に至るケースでは典型的なパターンといえ、わかりやすい危険信号となる。少なくともライヒの目には、その道のプロフェッショナルたちが中世のドクサにとらわれた宗教的権威と同じように映った。でも、ガリレオやコペルニクスになるのなら、自説に対ついてプロを納得させるだけの検証を行って証拠を示す必要があった。納得できる証拠をきちんと示さずに、自分の理屈を信じろという方がむしろ宗教チックなのだ。

けれども、それなりに信じる人は集まった。アナーキストなどにもウケが良かったらしい。そういう魅力があったのだろう。著書が売れ、ワラをもつかみたい患者が集まってくる。
ライヒ本人は患者に対して詐欺をやっている意識はなかったと思われる。プライドが異常に高い分、正義感も強かったのではないか。そうしているうちに被害は拡大していく。

とうとうアメリカ政府も放置できなくなり、FDA(米国食品医薬品局)が医療上有害無益として連邦裁判所に告訴。出版物は発禁処分となり、オルゴン・ボックスの販売・リース・輸送も禁止された。でも、ライヒはこの処分に従わなかったので、法廷侮辱罪で逮捕された。そして投獄され、最期は獄中で亡くなった。1957年。憤死したとも言われる。60歳だった。数年前、妻が浮気してるんじゃないかという強い疑念に駆られて一方的に離婚していたので、身内は一人息子のピーターだけだった。

オルゴン・エネルギーにほとんどふれていない著書まで「焚書」になり、理論の当否とは別に出版・言論の自由に関する問題として取り沙汰された、という話も残っている。

カウンターカルチャーの時代にはヒッピーの間でライヒを再評価する声が上がったのだそうだ。ウィリアム・バロウズがハマったらしい。破天荒で政治や科学の体制に反抗したこと、「焚書」「獄中死」というワクワクするフレーズ、当時のフリーセックス・ムーブメント(性の解放運動)とも相性が良かったのだろうか。

1973年に息子のピーターは、父親について書いた本を出版した。ケイト・ブッシュはそれを読んで曲にした。パティ・スミスのBirdlandという曲も同じ本がネタ元らしい。たしかに文芸好きの若者の秘孔を突く力を持っているとは思う。反体制でセクシーで際立ってユニークな人柄と波乱万丈の人生で、科学の世界ではからっきしでも、崇拝の対象としてならそれなりにいける。

今でもオルゴンでググるとけっこうヒットする。オマジナイとしての効果はあるだろう。自分はオマジナイをオマジナイの範疇で使うことは否定しない、というか、ツールとしてのオマジナイをわりと大事にしている。ただ、個人の自由と責任において対応するのが原則だろう。



奇妙な論理〈1〉―だまされやすさの研究 (ハヤカワ文庫NF)

奇妙な論理〈1〉―だまされやすさの研究 (ハヤカワ文庫NF)

ライヒの話はこの本に詳しい。1952年にこの本が最初に書かれた当時はまだライヒは存命だった。科学ライターのマーティン・ガードナーが主に当時のアメリカの疑似科学を集大成したもので、古典的名著なんて言われてる。原題は”In the Name of Science”(科学の名において)。読むとこの手の界隈も昔から似たようなことの繰り返しなのだなあと感じる。オルゴン理論についてまるまる1章が割かれている。けれども、クラウドバスターについての記述はない。クライドバスターはこの本の出版前後あたりに出てきたようだ*1